Cogito Ergo Sum.

我思う故に我あり

結界の中心で、無為に叫ぶ。

 どうも最近、生活に活気がないので、久し振りにアダルトDVDでも観るかと(この誤った発想そのものが、近頃の「活気のなさ」を如実に示していると思う)、夜遅くレンタル屋に行った。

 アダルトものの選択は難しい。アダルトものというものは、実際に観てみる以外に内容の良し悪しを予測する方法がないのだ。そしてまた、アダルトものというものは、良し悪しの幅がかなり大きなものなのだ。という訳で、アダルトものの選択には、普通の映画の選択以上に時間がかかってしまう。

 いろいろ見て回っていて驚いたのは、「メイド家庭教師」というコンセプトに基づいたDVDがあったこと。何か大変な間違いを犯しているように思う。決して兼ねられないものを兼ねようとしているように思うのだ。

 僕はメイド喫茶とか行ったことないし、そもそも「萌え」なる概念がいったい何を意味しているのかさっぱりわからないので何とも言いようがないのだが、H なDVDで「メイド」と言えば、男優がご主人様で、身分的な権力差を背景として純真な「乙女」にHなご奉仕を「強要する」、というところに快楽の源があるのではないかと思う。それに対して「家庭教師」ものは、男優が高校生か浪人生(しかも、バカで童貞)で、経験豊富でSEXYな「お姉さん」に「いろいろ教えて貰う」、というところがミソなのだと思う。とても両者が両立するとは思えない。両立しない、と言うか、概念的に対立しているような気がする。「乙女」に「教えて貰う」だと、たぶんアダルトものとして成り立たないんだよ。

 SEXすりゃいいってもんじゃない。SEXする前によく考えよう。


※ 「お姉さん」に「強要」であれば、「女教師」路線として成り立つと思う。

※ ここまで書いて、上記DVD、果たしてアダルトものとして成り立っているのかどうか確認すべきではないか、という気になってきた。もし成り立っているのであれば、それはそれで何か工夫があるはず。いったいどうやって不可能を可能にかえたのか…。たぶん「やっぱり成り立ってなかった」というオチに終わるのだろうと思うけど。