Cogito Ergo Sum.

我思う故に我あり

デバッガー組合の実例

 世の中には既にデバッガー組合の実例がある。世界中に散在するLinux開発者の形成するコミュニティだ。皆、Linuxの開発が面白いから無償でエネルギーを費やす。難しい問題にこそ挑むプログラマがいる。Linuxの開発においては、本当に皆が好き勝手につくったプログラムが採用されるわけではなく、リーナスさんを含む限られた中心メンバーが、世界中から送られてくるプログラムコードを精査し、Linux本体に組み込むものを選ぶのだそうだ。そうやって、まずいプログラムや悪意のあるプログラムを排除している。

 また、2ちゃんねるもある意味でデバッガー組合としての側面を有しているのではないかと思う。僕はあまり2ちゃんねるを利用しないので実態はよくわからないが、ある人が何かを質問し、他の常連さんみたいな人が一言二言コメントを返しているのをときどき見かける。おそらくあまりにも初歩的な質問やマル投げ的な質問は無視され、答えてみようかなという気を起こさせる質問だけが答えられているのだろう。2チャンネル世界には秩序が成立しているのだろうか? 2ちゃんねるでは、誤った情報や嘘を教える回答者はどういう扱いを受けるのだろう?

 デバッグとはやや異なるが、Wikipediaの編纂もアイデアとしてはデバッガー組合と同じなのではないかと思う。人々は、頼まれもしないのに、無償でインターネット上の事典であるWikipediaの編纂に加わる。そして、記述が困難な項目であったり、誰も書かないような項目であればあるほど、人は熱中する。誤った記述は概ね訂正される傾向にあるそうだ。また最新書き込みを監視している1万人規模のボランティアが存在するそうだ。無計画でありながらいかにしてバランスのとれた発展を実現するか、というのもWikipediaが本質的に抱える問題だと思うが、これはおそらく数の力によって解決しているのではないかと思う。どんな領域に関しても、その領域に関するマニアックな知識を持っていて、それを披露する場を求めている人が、意外とたくさんいるということだ。Wikipediaの編纂に対する参加度が、特定の領域に極端に偏っているのでなければ、Wikipediaは社会の縮図となるわけだ。