Cogito Ergo Sum.

我思う故に我あり

サーチライト

 質問に答えるというのは難しい。

 学会発表なんかを見ていると、そこでなされる質問は2種類あることに気づく。1つは、発表内容を理解した上で、詳細について質問したり、発表者の意見を求めるもの。このタイプの質問に対する答えは比較的簡単で、質問者はピンポイントで質問してくるからピンポイントで回答すればよい。発表者が把握していないことを質問されたら、わかりませんと答えるしかない。

 もう1つのタイプの質問は、そもそも発表内容を理解できなかったので、内容を推測するための質問。このタイプの質問はさらに2種類に分類できて、質問者自身が何がわからないのかわかっていて発する質問と、何がわからないのかわかっていないでする質問がある。

 ここがわからないから教えてくれ、という質問に対しては、もう1度説明するとか、別の言い方をしてみるとか、具体的な例を出すとかすればいいわけだから、比較的対応が簡単だ(それでもわかってもらえない、という事態はしばしば発生するが)。最も厄介なのは、質問者自身が何がわからないのかわかっていないで発する質問だ。何がわからないのかわからないのだから、何を聞くべきなのかわからない。そういうときに何とか理解しようとして発せられる質問というのは、質問された側にとっても何が理解できなくて何を質問しているのかわからないから、答えようがない。うろたえてばかりもいられないのでとにかく何かを答えるが、大抵の場合それは答えになっていない。

 こういう質問を受けた時に発表者の力量がはっきりと出る。自分の発表内容をよく理解している人は、質問者以上に質問者が何をわかっていないかがわかるようだ。質問者は何を質問すればいいのかをわかっていないから(ある意味ワラをもつかむ思いで)当てずっぽう的な質問をする。それがトンチンカンな質問である場合もある。優れた回答者は、こういう質問の自分の発表内容に対する意義を質問者自身よりも理解しているから、質問そのものに答えることによって質問そのものへの回答以上のことを答えることができる。1つの質問に答えただけなのに、研究の背景にある発想やその研究者のヴィジョンの一端が見えてくる。そういう回答は、それまで見えていなかった研究の全体像を照らす一筋のサーチライトのように感じられる。

 質問に答えるのが上手いというと、的外れな質問をされてもそれがあたかも重要な質問であったかのように答えるとか(そうすると、質問者の顔が立つ)、やたらと攻撃的な質問者を上手にはぐらかすとか、痛いところを突く質問に対して論点をすりかえて煙に巻くとか、そういう技術に目が向きがちなように思うが、この人凄いなーと心底感じるのはサーチライト型の回答をできる人だ。大学院生はおろか大学教授でも、そういう回答をできる人はなかなかいないものだ。