Cogito Ergo Sum.

我思う故に我あり

シンポジウムの楽しみ

 学会の研究発表会に参加する楽しみの1つにシンポジウムがある。全く知らない分野の研究者の話を聞くのが面白いのだ。

 今年は今のところ3回学会に行ってきて、それぞれ言語学者、法律家、文化人類学者の話を聞いたのが強く印象に残っている。

 こないだ聞いた話はケニア遊牧民族の話で、ギブアンドテイクの社会規範の話。これがもの凄く面白くて、遊牧民にとってギブアンドテイクの関係の輪から外れてしまうことは死を意味していて、実際にはギブアンドテイクの関係が実現されているのだけど、それを実現しているのは、ギブアンドテイクの社会規範ではない、という。実際は親族等がなんとか互いに協力し合うことによって生きている社会なのだけど、互いに協力し合うことそのものが素晴らしいとか、互いに協力し合うべきだとか、互いに協力し合わなければならない、という社会規範があるわけではないらしい。その部族では、例えば、助けてもらっても、負い目を感じるとか、それに報いなければならないとか全く思わないらしい。

 日本人はもともと農耕民族で相互協力の必要性があったから、日本社会では相互協力の社会規範があるのだ、とか、和を尊ぶ精神が共有されているのだ、という話が嘘っぱちであることがよくわかる。

 そういうわけで、知らない話を聞くのは面白い。