Cogito Ergo Sum.

我思う故に我あり

哲学と数学

 哲学と数学、その本質はたぶんほとんど同じものだ。ところが、片や哲学は文系の本丸、片や数学は理系の本丸。両極に位置するものとすら考えられている。両者を区別するものはいったい何なのか。

  自然科学者の多くは物理学者にコンプレックスを抱いているのだそうだ。「物理学こそ、本当の自然科学だ。」その物理学者の多くは数学者にコンプレックスを抱いているのだそうだ。「数学こそ、本当の科学だ。」その数学者の多くは「数論」を専門とする数学者にコンプレックスを抱いているのだそうだ。「数論こそ、本当の数学だ。」数論というのは、「数とは何か」について考える学問だそうだ。これを哲学と呼ばずに何と呼ぼう。

 ただし、数学と哲学とで全く異なる側面がある。数学は自然科学全体を貫く共通言語になっているのに対して(だからこそ数学者は尊敬される)、哲学は何の共通言語にもなっていないことだ(だからこそ哲学者は馬鹿にされる)。哲学者の話は哲学者にしか理解できないし、その哲学内部ですらタコツボ化が起きているように思う。逆に言えば、共通言語として使える哲学的論考は誰からも評価され得ると思う。

 哲学者も数学者も、世の中のどこにも存在しない世界について考え続けている。そこに違いはない。違いは、考えた結果が他者にも活かせるようなかたちで提供されているかどうかなのだ(と思う)。