Cogito Ergo Sum.

我思う故に我あり

他人事のありがたさ

 他人事、というのは通常ネガティブな意味で用いられるけれども、他人事としての意見を言われることは大変ありがたいことなのではないかと思う。他人事的意見は一般論としてたいがい正しいからだ。

 「お前だって、もし俺と同じ立場に立たされたら、俺と同じことを言うよ。」たぶんそうだろうと思う。しかし、親身になって自分と一緒に悩んでくれる他人が1人増えたって、自分の問題を解決する上で何の役にも立たない。他人の役割は、本人とは異なる意見を言うこと、つまり、他人であり続けることなのだ。

 もちろん言われた当人は頭にくる。「そんなことは百も承知だ。こちとらいろいろ事情がある。わかっていたってそうはできないのだ。他人事だからそんなこと言っていられる。自分が俺の立場だったらそんなこと言っていられないだろう。」だからこそ、他人事的意見はありがたい。自分が自分にわかっていながら的確なアドバイスを与えることができないのは、それが他人事ではないからなのである。もし他人が自分と同じ境遇に立たされているのを見れば、自分は他人事として冷静に的確な意見を述べていたはずなのだ。

 自分は自分自身に対して他人になれない。そのことがかえって、的確な行動をとることを阻害している場合がある。そんなときこそ、他人事的意見はありがたい。