Cogito Ergo Sum.

我思う故に我あり

お葬式で写メ

 数ヶ月前インターネット上の記事で、お葬式(告別式?)での出棺の際に、棺おけに収められた仏の写真を携帯電話のデジカメで撮る人が増えてきた、という話を読んだ。その記事では、現代人にとって死というものをリアルに感じることができないんじゃないかとか、行楽地での記念撮影みたいで不謹慎じゃないかとか、こういう風潮はいかがなものかという風な書き方だったが、僕は何ら不思議には思わなかった。

 久々に友達と会って携帯電話で写真を撮り、旅行先で綺麗な風景に感激して写真を撮る。携帯電話のデジカメで写真を撮るのは、単に「記憶に焼き付ける」作業でしかない。そうする人は、携帯で写真を撮るという行為を通して、ある出来事を体験したことを象徴的に脳裏に焼き付けているに過ぎない。そんな人にとって、故人の写真を撮るというのは、故人との最後の別れを記憶に残そうという作業なのだ。あるいは、写真を撮ることによって、故人に別れを告げあの世に送り出しているのである。死体マニアが死体写真を収集しているのとは全くわけが違う。

 そういう意味で、僕は何ら不思議な風潮だとは思わなかったし、けしからんとも思わなかったのである。