Cogito Ergo Sum.

我思う故に我あり

国際実験プログラムのプログラミング

 インターネットを使って「せーの」で同時に実施する国際社会心理学実験のコンピュータプログラムを2000年以降4つつくった。

 僕自身は研究者としてではなく、プログラマというスタンスでこれらのプログラムをつくった。そうなると、実験を実施してデータがとれたかどうかや、面白い結果が出たかどうかや、論文として発表することができたかどうか、ではなく、プログラムが自分の意図した通りに動くかどうかが最大の関心事になる。

 極端な話、論文が評価されて賞をもらったりしたとしても、プログラマとしての僕にはどうでもいい話だ。プログラムが意図した通りに動いていれば満足。動かなければ不満足。逆に言えば、プログラムさえちゃんと動いているのであれば、実験結果のデータを誤って消してしまったって構わない。

 これまでの国際社会心理学実験のプログラムに関しては、全て不満足な結果に終わっている。国際実験のプログラミングは主観的には決して報われない。わからないことがあまりにも多すぎるのだ。プログラムを書けば書くほど、無力感が増すばかり、自尊心は単調に減少するのである。

 というわけで、国際実験のプログラミングに関してはプロに任せるべきだというのが僕の考えなのだが、最近実施している国際実験でのあまりのエラーの多さに、さすがにこのまま引き下がるわけにはいかないという気持ちになってきた。正直、ここまで思い通りにいかないのは、かなり悔しい。

 うちの親分や他の大学院生は、僕が実験プログラムがうまく動いていないといって落ち込んだり悔しがるのを理解できないだろう。様々な問題があったにも関わらず、1ヶ月とちょっとで400〜500人が参加する国際実験を実施することができたのだから大成功である。しかも実験結果から面白い論点が浮かび上がりつつある。研究者としては僕もそう思う。しかしそれはプログラマとしては知ったことではないのだ。逆に言うと、彼らはプログラムにかなり致命的な欠陥があったとしても、それが実験実施に影響を及ぼさないのであれば問題視しない。プログラムがエラーなく動くかどうかは彼らの知ったことではない。

 コンピュータを使った実験を実施する上では、研究者の視点とプログラマの視点の両方のバランスをとる必要があるわけだが、僕自身は完全にプログラマの視点しかとれなくなってしまうのである。これは僕自身が、実験プログラムのプログラミングを研究活動の一環としてではなく、プログラマとしての自己実現の機会ととらえるからだろう。