Cogito Ergo Sum.

我思う故に我あり

片想い文化

 ここ数日韓流映画を観続けて、ふと思いついたことがある。日本や韓国には「片想い文化」とでも呼ぶべきものがあるのではないか、ということだ。

 韓流映画の楽しみ方には、日本の映画では考えられないようなトンデモない設定や劇的なストーリー展開を笑いながら観る、という側面があるのだろうけど、そういう側面を全て抜きにして、それでも韓流映画が人気なのだとしたら、映画の中で描かれている「片想い文化」が日本人の心の琴線に触れるからではないかと思うのだ。

 韓流映画を観始めて最初に気づいたのが、その独白の多さ。言語には、コミュニケーションの道具としての側面と、思考の道具としての側面がある。独白というのは、非公開の日記や自分用の走り書きメモと同じで、思考の道具としての側面が強く出た言語形態。韓流映画の独白の多さには、登場人物たちの会話を通したコミュニケーションよりも、それぞれの登場人物の心の声をより尊重して映画をつくっているような印象を受ける。

 で、何だろう、韓流映画には、この状況で実は彼はこう思っていた、とか、彼女がそうしたのはその前にこう思ったからだった、とか、ある状況において、実は様々な人々がそれぞれの想いを抱いていた、という描写が非常に多いような気がする。映画を観ている観客には、あぁ彼は本当はこう思っているのにそれを彼女は知らないんだよなぁ、とか、彼はガッカリしているけど彼女がそうしたのにはちゃんと理由があるんだけどなぁ、とか、わかる。だけれども、映画の中では、登場人物たちはお互いの想いをわからずじまい。それぞれにそれぞれの想いがあるけれども、そんなことは本人にしかわからない。このことそのものがテーマとなっているような気がする。

 これが何かに似ているような気がして考えてみたら、20年前の少女マンガ(僕は別冊マーガレットしか知らないが)だと気がついた。90年代以降は、ちゃんと男女の交際(つまり、具体的なコミュニケーション)が描かれるようになったと思うが、80年代の別冊マーガレットには、主人公の女のコが憧れの男のコに玉砕覚悟で告白して終わり、みたいなマンガがたくさんあった(特に新人が描く短編)。告白するまでの心情の変化そのものがマンガのテーマなので、告白してしまった時点で物語は必然的に終わらざるを得ない。男性向けのマンガはそもそも恋愛マンガの比率が少女マンガに比べるとはるかに小さいわけだけど、その中でも、具体的なコミュニケーション抜きの本人の心情のみを綴った独白マンガってほとんどないように思う。大昔の少女マンガみたいな、名前も知らない先輩をただ遠くから見つめるだけ、みたいな漫画は男性向けのマンガとしては成立しない(つまり、日本の男性向けマンガには片想い文化は存在しない)。そういう意味で韓流映画には、昔の少女マンガの雰囲気がある。

 誰にも気づかれないかもしれないが、人にはそれぞれの熱い想いがある、ということそのものが韓流映画にとって非常に重要なテーマなのではないか、という気がするし、それが日本人の涙腺を刺激しているのではないかと思う。映画のテーマとして、いくら考えがあっても相手に伝えないのでなければ意味がない、だから伝えるようにしましょう、というメッセージを発しているわけでもないし、相手の気持ちを察するべきだ、というメッセージを発しているわけでもない。「人にはそれぞれの想いがあるのだ」ということそのものがメッセージとなっているように思う。コミュニケーション文化や交渉文化(これらも今思いついた言葉)の人が観たら「えーっ何で思っていることを相手に言わないの?」と言うのではないかと思う。いくら相手のことを考えてたって、それを伝えようとしないのであれば意味ないよ、と。どうも韓流映画には、香港の映画やアメリカの映画には全く感じられない独特のテイストをもっているように思う。で、今回、韓流映画を観続けていて初めて気がついたわけだ。そういう文化があるのではないかと。

 O.ヘンリーの『賢者の贈り物』という有名な話がある。若い貧乏な夫婦が、クリスマスプレゼントを買うために、女性は自分の長く美しい髪の毛を売って時計の鎖を買う。男性は金時計を売って髪飾りを買う。これ、最後にはお互いが何を考えて何をしたかがお互いに明らかになる(ところで、日本ではこの話はホノボノ系の物語とされているけれども、本当にそういう趣旨の物語なんだろうか。ありゃりゃスレ違っちゃったよ、バカだねぇ、という結論のような気もするのだ)。これが香港映画ならケンカになるんじゃないかという気がする。なんで髪を切っちゃったんだよ! どうして時計を売っちゃったのよ! という具合に。韓流映画ならどうなるか? たぶん、それぞれプレゼントを買った後、自宅へ帰る途中に無謀運転の車が突っ込んできて2人とも死んでしまう。2人の想いを知ることができるのは観客だけ…。こんな風になるのではないだろうか。

 日本と韓国で共通するものって何だろう? …儒教? いや、まぁ、これも今思いついただけ…。