Cogito Ergo Sum.

我思う故に我あり

僕とハングルとの出会い

 ハングルを初めて見たのは・・・、1970年代。小学生のとき。

 パーティーで鳴らすクラッカー、飛び出してきた中身を拾い集めてみたら、その中に韓国(北朝鮮かもしれない)の新聞紙を細長く切った紙片が含まれていたのだ。

 何とも言えない妙な文字だと思った。漢字のようで漢字ではない。特に○が含まれているのが奇妙に見えた。見たこともないもの、というのは、僕にとってワクワクの源泉というより不安の源になる方が多い。これはどこの言葉だと両親に聞いたら、韓国だと教えてくれた(のだと思う。・・・、当時、僕は大韓民国だとか朝鮮民主主義人民共和国だとかを知っていたのだろうか?)。それが、僕とハングルとの出会い。本当に不思議な文字に見えた。

 ニュージーランドのEuropean系のとある若い大学院生が、中国語はシューシューシューシューと聞こえる、韓国の文字はトイレのマークみたいだと言っていた。トイレのマークって何だ?と思ったら、♂と♀のことだった。日本のトイレでこのマークが使われているのを見たことがない。ニュージーランドでも見かけなかったように思うんだけどなぁ。