Cogito Ergo Sum.

我思う故に我あり

「世の中」に対する視線

 今夏、産業・組織心理学会に初めて参加した。「組織学会」というのが経営学系の人が多いのに対して、産業・組織心理学会は心理学系の人が多いそうだ。労働者に対して実施したアンケート調査結果を高度な統計手法(共分散構造分析とか)を駆使して分析した研究報告が多かった。

 個々の発表の具体的な話よりも、この学会に参加する人達の関心がどの辺りにあるのかや、社会心理学が企業の現場で起きている現象の理解や問題の解決にどのような貢献をなし得るのかを考えながら発表を聞いていた。

 最初に強く感じたのは「何故心理学者は人の心理にばかり注目するのだろう?」ということだ。こう思ったのは、組織体のありようや組織人の抱える問題は必ずしも個々人の「心理」によって決定されているわけではないわけで、「人の心理」にだけ注目しても無意味である可能性すらあるからだ。ある環境における人(真空空間の中の個人であれ、組織の一員としての個人であれ、組織体そのものであれ)の行動を理解しようというときに、彼らがどのような環境におかれているのかを具体的に考えずに、個人の心理にだけ注目することに意義があるのだろうか。

 まぁ、こんな感じのことを考えていたところに、この学会における中心的存在の1人なのではないかと思われる某先生のちょっとしたコメントを聞いて、「個人の心理過程にだけ注目している」という僕のもった印象が誤りであることがわかった。某先生のコメントを聞いていると、個々の研究の背後にある「世の中に対する視線」のようなものがうっすらと見えてきた。おそらく彼が興味をもっているのは、「人の心理」そのものではなく「世の中」である。「世の中」を見るにはいろいろなアプローチの仕方がある。彼は「個人の心理過程」に注目するというアプローチをとることによって、「世の中」を見ようとしている(のだと思うのだけど。直接、ご本人とお話したことがないのでわかりません)。そのことを理解した上で研究発表を聞いていれば、もっといろいろ感じることがあったのかもと思うと少々残念だが、そこに「世の中」に対する視線がある、と気づいただけでも、僕にとっては収穫だった。