Cogito Ergo Sum.

我思う故に我あり

血液型性格論について去年から思っていたこと

 レンタル屋の韓流コーナーをぶらついていて『B型の彼氏』というタイトルの映画を見かけたときには正直驚いた。医療現場以外で血液型について日常的に話題にするのは日本と台湾だけだと思っていたからである。

 去年mixiを始めて、マイミクさんの日記を読んだりオフ会に参加して衝撃だったのは、僕が思っていたよりずっと多くの人が「血液型と性格には何らかの関係がある」と思っているらしいことだった。中でもビックリしたのは「血液型と性格に関連のあることは心理学的にも確かめられている」とまで思っている人がいたことだ。

 残念ながら、性格心理学(人格心理学とかパーソナリティ心理学とも呼ばれる)の本のどこを探しても「血液型と性格に関連あり」という記述は発見できないだろう(「関係あり」どころか「血液型」という言葉自体が発見できないだろうと思う)。端的に言って、血液型と性格には何の関連もないからだ。もし、血液型と性格との間に生得的な関連があることを明確に示すことができれば、ノーベル賞くらい貰えるんじゃないだろうか。

 社会心理学の本になら「血液型」という単語を発見できるかもしれない。ただしそれは、「血液型と性格に関連あり」という話ではなくて、差別・偏見・ステレオタイプの研究、噂・流言・デマの研究、あるいは、ブーム・流行の研究として取り上げられている場合だ(そういう意味で、社会心理学的には3つの側面をもつ面白いテーマだと言えないことはないと思う)。

 「血液型と性格に関連あり」と思っている人の割合を僕が実際よりも低く見積もっていた(まぁ世の中の半分くらいの人は信じているのかもしれないな、とは思っていた)のは、僕の付き合いが主に心理学系の人に限られているということに由来するのだろう。心理学系の大学院生ともなれば、血液型と性格に統計的な関連が認められないというのは皆知っているだろうし、「関連がある」などと言おうものならものすごーく馬鹿にされるだろう。本当は関連があるように思うんだけどなぁなんて思っていたとしても、それを言い出せない雰囲気もあるのかもしれない。というわけで、ここ10年くらい血液型と性格や相性の話をしている人を見たことがなかったのだ。

 血液型性格論(血液型による性格判断だとか相性判断)みたいなものは、戦後、テレビ制作者と出版社が手を組んで生み出しているブームに過ぎない(ちなみに、例の「あるある」はもう10年も前から「血液型に関する偏見・差別を助長する」と批判されていたそうだ)。「A型は〜タイプ、O型は〜タイプ」等の「知識」は、実際の日常生活からではなくて、このテのテレビ番組から植え付けられていることが明らかにされている。例えば、ここ数年で世の人々のAB型のイメージが随分よくなってきているのだそうだ。何故か? 以前はテレビや本でAB型は「変人」「変わり者」と記述されることがほとんどだったのに対して、2004年の血液型ブーム(血液型ブームは数年おきに再燃する)のときは「AB型は天才タイプ」とされることが多かったからだ。AB型の人の実際の性格が変わったわけではないし、このテの番組を見ない人たちの間ではイメージの変化は起きていないそうだ。

 台湾でも血液型性格論を信じている人がいるというのは、台湾が親日国で、日本のバラエティ番組が放送されているからだろう。血液型性格論は「日本文化」として輸出されているわけだ。

 韓国で血液型性格論がはやり始めたのはまだここ数年のことらしい。1998年に発足した金大中政権による日本文化解放の結果なのだろう。ちなみに、韓国では最も彼氏に適さないのはB型男性であるとされているらしい(日本でもそうなのだろうか?)。映画『B型の彼氏』は、やっと運命の人と出会えた!と思っていた主人公の女のコが、彼がB型だとわかってショックを受ける、というラブコメディなんだそうだ。血液型というのが、映画のネタになるような最新の若者文化なのだろう。

 1980年代の途中まで「黒人はリズム感が良い」というステレオタイプが日本社会にあったように思うのだけど、いつのまにかそういう話って聞かなくなったように思う。どうしてこの偏見は消えていったのだろう? 同じことが血液型性格論にも起こるのか起きないのか、起きたとして(起きないのだとして)その理由は何か。社会現象として考えれば、全く面白くないテーマというわけでもないと思うんだけど。