Cogito Ergo Sum.

我思う故に我あり

意識の差

 巷で配布されていた「環境配慮行動」についてのPRチラシを見ていて、腑に落ちない記述と出会った。

 内容は市民アンケートに対する回答を載せたもので、「スーパー等での買物で、無料のレジ袋を貰わずに、マイバッグ・エコバッグを持参しているかどうか」を訊ねたもの。結果は、行政によるゴミ収集において指定されたゴミ袋を使わなければならない市町村の住民はマイバッグ・エコバッグ持参率が高く、ゴミ袋の指定のない市町村の住民は持参率が(前者と比較して)低い、というもの。

 で、チラシには「ゴミ袋指定の有無によって、住民の環境配慮行動に関する意識に差が見られた」と書いてあったのだけど、これってどう考えてもおかしい。

 そもそものそもそもから言えば、このアンケートは行動について訊ねたものであって意識について訊ねたものではないのだから、意識について結論を述べるのはおかしい、ということ。それと、むしろ結論として重要なのは、「ゴミ袋が指定されていない地域の住民は、レジ袋をゴミ袋として再利用している」「レジ袋をゴミ袋として使えない地域の住民は、指定ゴミ袋をお金を出して買っている」「結局、ゴミ袋が無料から有料になっただけで(家計の負担が増え、企業の負担が減る)、ビニール資源の消費量は変わらない」ということなのではないかと思うのだ。

 最近では「エコ格好良い」という言葉があるそうだ(格好悪い…)。環境配慮行動そのものを格好悪いなどと言うつもりはないが、「マイバッグ・エコバッグを持参する」ことが「環境に配慮した行動」であることは自明の理であって、それ以外の考え方はあり得ない、というような態度には疑問を感じる。

 最近いよいよ増えてきた「レジ袋有料化」に関しても、コスト削減と「エコ格好良い」企業イメージの確立の一挙両得を狙う、企業の生き残り戦略に過ぎないのではないか、という気もする。そこで「環境に関する意識の高い消費者」とされているのは、実は単に、企業にとって都合の良い行動をとる消費者のことを指しているのかもしれない。と言うわけで、どうも「おっとあぶないあぶない、騙されるところだった」という気になってしまうのだ。