Cogito Ergo Sum.

我思う故に我あり

音声と表記

 考えてみると、僕はこれまで英語の発音というものを聴いたことがなかったんだなぁと思う。

 数年前に韓国語の勉強を始めたときに驚いたのは、どんな入門書にも音声CDが付録でついていることだった。僕は基本的に世の中の動向と無関係に生きている人間なので、現在の語学書にはネイティブスピーカーによる発音を収めた音声CDがついていて当然、ということを知らなかったのだ。

 韓国語の音は全く知らなかったので、一生懸命CDに耳を傾けた。日本で売られている韓国語入門の男性ナレーションでは、イ・ホンボクさんという方が活躍している(ただし、彼はアナウンサーや声優ではなく、本来は朝鮮語研究者なのだが)。この人の声を何度も何度も聴いているうちに単純接触効果が生じ、声そのものを好きになってしまった(というか、もうイ・ホンボクさん自体が好き)。いい声なんだよね〜、これがまた。

 韓国語の発音を比較的熱心に勉強せざるを得なかったのは、ハングルという文字を見ても、対応する音が全く想像できなかったからだ(何ヶ月か勉強していたら、あるとき急に、ハングルを構成する記号(「字母」という)そのものが音を発しているように感じるようになったが)。逆に言うと、カタカナでルビが振ってあったり、アルファベット表記されていたら、あまり熱心に発音の練習をしなかったかもしれない。同じことは英語にも言えるはずで、これまでネイティブスピーカーの発音で英語の単語を学ぼうと思ったことがなかったのは、単語の綴りを見ればある程度発音の想像がつくからだったのではないかと思う。

 例えば、「fitting」という形容詞がある。「fitする」という意味で、まぁ発音は「フィッティング」だろうな、と思ってしまう。ところが、前にも書いたように僕にはtの音はラ行の音に聴こえる傾向があるので、「フィッティング」というよりは「フィリング」に聴こえる。パッと聴くと、「feeling」かな?と思ってしまうのだ。

 そのため、

Chocolates and flowers are fitting presents for Valentine's day.

 というような、文字で読めば何の疑問もわかないような文章でも、耳で聴くと意味がわからないのである。僕には、

Chocolates, flowers, feeling, presents, Valentine's day

 あたりが耳に残っているわけで、チョコレートとフラワーっていうとヴァレンタインズデーって感じだよね、ってな意味かなぁ、などと考えることになってしまう(別に間違ってないんじゃないかという気もするが)。

 僕の場合、英語を聴いていて多少単語がわかっても、文脈が全くわからない、ということが多い。また文脈がわからないから、単語も聴き取れない。こないだ面白かったのはMT cansで、MT缶って何だ? と思っていたら、empty cansだった(途中で、どうもゴミ拾いの話らしいと気づいて、ようやくわかった)。

 最近は日本の英語教育も変わってきて、文字から入るのではなくまず音から入る、というような方針らしい。日本人の先生でいいんだろうかと思わないでもないが(ネイティブスピーカーのアシスタント(ALT)がいるのかもしれない)、音も聴かずにローマ字読みする癖がついてしまう前に、音と表記を対応させていく(それにはかなり時間がかかるだろうが)というのは、長期的に見れば効果あるだろうな、と思う。