Cogito Ergo Sum.

我思う故に我あり

もう一歩踏み込んでみる

 うちの研究室の院生のほとんどはmixiをやっているようなのだが、非常に内輪付き合い傾向の強いネットワークを形成しているように思う。mixiGraphで見てみると、これ完全グラフじゃないか?と思うほど。

 しかし、どうも僕は、インターネットを利用して内輪付き合いをするということに、非常に強いバカバカしさを感じる。mixiで互いの日記を読むのがそんなに面白いだろうか? 毎日会って話す人の日記を読むことが。

 mixiで日記を書くと、自分と直接のリンクのある人にそれが伝わる。インターネットを使って弱い紐帯の強さを活かす、という観点から考えてみると、もう一歩踏み込むことができるはずだ。

 以前は、mixi等のSocial Network Serviceの面白さは、放っておけば弱い紐帯どころか消滅してしまう紐帯の維持に役立つところだと思っていた。放っておけば疎遠になってしまう人の日記が勝手に送られてくるのだから(しかも、書いた本人もそれを皆に見せてまわるコストを払わなくてよいのだから)、普段それほど情報交換するわけではない弱い紐帯を維持するのに役立つのは確かだ。滅多に会わないあの人は、最近こんな経験をしたんだな、最近こんな風に感じているんだな。それがわかるってのはもちろん素晴らしい。

 だけど、本当に面白いのは、自分の直接の知り合いから発せられた情報が自動的に送られてくることじゃなくて、間接的な知り合いの発した情報が送られてくることじゃないだろうか? つまり、友達の友達についての情報(友達の友達が発した情報)が放っておいても届くようなシステムが、インターネット時代(死語)の弱い紐帯の強さじゃないだろうか?

 例えば、友達が今まさにどんなCDを聴いているか、それがわかるだけでも、まぁ面白いとは思う。だけど、本当に面白いのは、直接の友達ではない、友達の友達が今何を聴いているかが伝わってきてしまうことじゃないか?

 インターネットやSNSを利用して、内輪付き合いしてたって意味ないじゃん!