Cogito Ergo Sum.

我思う故に我あり

ユーザーインターフェイス

 先日若い(と言っても本当はそんなに若くない)大学院生が話してくれたのだが、ダウンタウンの松本の父が最近パソコンを始めたのだが、何とマウスを画面のマウスポインタに押し当てて動かそうとしていた、というのである(もちろんこれは松本の作り話かもしれない)。大学院生の彼は笑いながら「あり得なくないですか?」と言うのだが、そして僕も想像すると可笑しくて笑ってしまったのだが、あり得ないとは思わなかった。おそらくどんなものでもそうだと思うが、初心者というのは想像を絶することをするものだ。近年「中高年のためのパソコン教室」みたいなのが地域のコミュニティーセンター等でよく行われているが、最初の難関がマウス操作だという話を聞いたことがある。考えてみると、マウスというのはひどく「直感的に操作できない」道具なのだ。

 MS-DOS時代からWindows時代への移行期には、「キーボードを用いて文字を打ち込んで操作するCUIMS-DOSよりも、グラフィカルに表示されたウィンドウやアイコンをマウスで直接操作するGUIWindowsは直感的で親しみやすい」などという(「お前それ本気で言ってないだろ」とつい言ってしまいたくなるような)言説が大いにまかり通っていた。マウス操作がそんなに直感的なら何故マウス操作がパソコン初心者の難関になる? 画面に表示されているマウスポインタをそことは離れた手元で操作するマウスはちっとも直感的に操作できる道具ではない。例えば、赤ん坊をコンピュータの前に連れてくる。この赤ん坊がどういうわけか画面に表示されているマウスポインタを動かしたいと思ったとする。そのときこの赤ん坊は何をするだろうか? 人差し指で画面のマウスポインタを押すのではないかと思う(机の上に置かれたコインを指で動かすように)。大人はこれまでの経験から、指で画面をこすっても多くの場合表示内容に影響を及ぼすことができないことを知っている(影響を及ぼすことのできる数少ない例外は、銀行や郵便局のATMくらいではないか)。知っているから、指で押してみようとはしない(あるいは、1回やってみてダメだったらすぐ諦める)。そこにパソコン教室のインストラクターの声が響く。「マウスポインタはマウスで操作するのです。」こう言われてマウスを画面に押し当てない方が不思議だ。

 実家に帰ったら居間に新型のiMacが置いてあった。コンピュータなんてまだ数回しか触ったことのない母が自慢気に操作してみせようとするわけだが、マウスを90°(反時計回りに)回転させた状態で手にしているから、マウスを水平方向に動かすとマウスポインタは垂直方向に動いてしまう。当然本人もあれ?あれ?と戸惑っている。これを見たとき、つくづくマウスというのは使いづらい道具だと思ったのだ。(ちなみに、iMacに付属してきたApple純正マウスは、線対称・点対称の楕円のような形をしていて、正しい方向で手にするようアフォードしていない。母がマウスを90°反時計回りに回転させた状態で手にしたのには必然性がある。マウスの先端(?)からは細いケーブルがコンピュータ本体に向かって伸びているわけだが、右利きの母は右手で操作するためにマウスをコンピュータ本体の右側に置く。そしてケーブルの出ている部分をコンピュータ本体の方向に向けたのである。マウスにはAppleのリンゴマークが描かれているから、わかる人が見れば上方向がわかるようにはなっているのだが、残念ながら母はまだAppleマークにすらそれほど慣れ親しんでいない。)

 正月の新聞で、漫画家の蛭子能収さんが「コンピュータでマンガを描く」という企画をやっていた。コンピュータでマンガを描くというのは、紙に鉛筆やペンで直接絵を描くのではなく、ペンタブレットを使ってコンピュータソフト上でマンガを描くということだ。その際に最初に彼が訴えたのは、ペンはタブレット上で動かすのに描線は画面に表示されること、要するに、ペン先と関係ない位置に線がひかれる違和感だった。

 僕はこれは車とバイクの運転感覚の違いとも対応しているのではないかと思う。バイクのコーナーリングの基本は曲がりたい方向に車体を倒すことである。右に曲がりたければ右に体を傾ける。左に曲がりたければ左に体を傾ける。右に曲がりたいのに体を左に傾けたらうまく曲がることができない(ただし、非常に低速でくるっと180°向きをかえるような場合、車体を極端に倒し込みライダーは体を起こすようにしてバイクを走らせるテクニックもあることはある)。そこには物理現象としての必然性がある。かけっこも、スキーも、乗馬も同じだ。だからバイクの運転には自分自身が走っているような感覚がある。ところが、日常的な乗り方をしている限り、車の運転にはそういった必然性はない。右に曲がりたい時にハンドルを右に切るのは、物理的必然性というより、ハンドルを右に切れば前輪が右方向を向くように自動車が作られているからだ。これは逆だっていいはずなのだ。ハンドルを右に切ったら左へ曲がる車でも乗れないことはない。乗れないことはないというか何回か乗ったら普通の車と同じように運転できるようになるだろう(レースみたいに飛ばして乗る時は、体全体に強いGがかかるから、つまり、運転者の姿勢にまで物理的な力が大きく作用するから、そうはいかないだろうが)。

 以前面白いと思ったことがある。エレキギターギターアンプから音を出して弾いていたら、ギターの音が僕が弾いているギターからではなく、アンプのスピーカーから出ていることに違和感を感じると言われたのだ。考えてみれば、楽器を演奏しているのに音はその楽器ではないところから出ているのだから不自然なわけだ。ところが、僕はこれを不自然に感じたことはなかった。レコードの音はレコードプレーヤーからではなくスピーカーから流れ出るわけだが、それを不思議には思わないのと同じだ。ところがビクターの犬(名をニッパーという)にはそれが不思議だったわけだ。(ビクターの犬が蓄音機のラッパの前で首をかしげているのは、本当は不思議がっているわけではなく、蓄音機から聞こえてきた以前の飼い主の声に耳を傾けているのだそうだ。)


今日のまとめ
 自然現象に反するユーザーインターフェイスは直感に反する。でも、ま、すぐに慣れる。慣れてしまえばそれが直感に反することにすら気づかない。