Cogito Ergo Sum.

我思う故に我あり

いたちごっこ

 去年の秋、おそらく僕の契約しているプロバイダがとったspam対策が功を奏したのだと思うが、spamにほとんど悩まされることがなくなった。それがここ1週間ほど前からまた急に増えてきた。

 こういうのはいたちごっこでキリがない。spam対策をいくら施したって、その対策を乗り越える方法が編み出されるからだ。いつもならこういういたちごっこ一般を不毛に思い、やりきれないいらだちを感じるのだが、今回は少し違った。

 生命を創った神様は、いたちごっこが繰り返される様を見て楽しんでいるに違いない。いたちごっごは生命力の象徴だ。いたちごっこが不可能な世界というのは、変化のない世界、安定した均衡状態、蟻地獄の底、生命の存在しない世界だ。変化こそが全て。変化の封じ込まれた世界は死の世界。どんなに完璧に見えるシステムでも、ほんのわずかな隙があればそこから侵入してシステムを狂わせていく。それが生命というものだ。いたちごっここそ希望の灯なのだ。