Cogito Ergo Sum.

我思う故に我あり

"Cogito ergo sum"のパラドクス

 他者との関わりやその存在を無視していると、どんどん自分にとっての自分自身の存在感が希薄になっていく。他者を感じなくなっていくだけでなく、自分自身をも感じなくなっていく。

 他者は自分を映す鏡。自分にとっての自分自身の存在感の源は、実は自分自身の中にあるのではなく、自分に対する他者の行動の中にある。

 それゆえ、自分しか見ていない人間の自分自身の存在感は希薄。無人島では"Cogito ergo sum"は成り立たない。