Cogito Ergo Sum.

我思う故に我あり

彼女の前に道はない 彼女の後ろに道は出来る

 かれこれ10年ほど前、あるスポーツ用品店で数ヶ月間アルバイトをした。そこで当時30歳の女性社員からある話を聞いた(びっくりしたような顔の、体の大きな人だった。「びっくりするような顔」ではないので注意)。

 そのお店にときどき顔を出すある男性(それが社員だったか、協力会社の人だったか、お客さんだったかおぼえていない)の娘さん(当時、中学3年生だか高校3年生だか)はスキーのジャンプ競技の実力者で女のコで彼女にかなう相手はいないのだが、日本には女子ジャンプの公式大会も団体も存在しないため、次のシーズンからは活動の場がなくなってしまうというのだ(今でもオリンピックのジャンプ競技は男子だけである)。たしか、男子の大会には女子は参加できないという話だったと思う。つまり、世の中には女性ジャンパーの生きる道はない、ということだった。ジュニアの大会には男女とも参加できるので子供のうちは良いが、ある年齢を迎えると競技生活を打ち切らざるを得ないという話だったと思う。

 僕はひどい話だと思ったのだが、その女性社員はそうは思っていなかったようで、そのことがとても印象に残っている。一般に男性よりも女性の方が、女性だというだけで活動が制約されるのはけしからんと思っているだろうと思っていたのだが、ある意味仕方ないと考えているようで(どうしようもないと諦めているという風ではなかった)、けしからんとは全く思っていなかったので意外だったのだ。

 その話はずっとおぼえていて、新聞やテレビでジャンプ競技を見かけるたびに思い出していたのだが、先日その娘さんと思われる人物がテレビで紹介されていた。

 番組は、北海道在住の頑張ってる人を紹介する30分程度のもので、北海道のテレビ局制作のローカル番組。その番組で「日本の女子ジャンプの第一人者」として取り上げられていたのだ。今でも女性ジャンパーの数は多くはないが、今では全国組織も存在するし、国際大会も開かれているそうだ。番組では、日本で開催された国際大会で彼女が初めて表彰台に上る姿が放送されていた。

 もちろん彼女が独りっきりでここまでの道を切り開いてきたわけではない。多くの協力があったのだろうとは思う。だけど、彼女の前には道はなかった。彼女の後ろに道ができた。僕は、自分の前に明白に道が存在していたとしても前に進むことを躊躇するタイプの人間なので、彼女がその後の10年間ジャンプを続けていたことに強い感銘を受けた。一つのことを継続できる人というのは何故そういうことができるのだろう?

 ツラいときに何故やめないのだろう? ツラくてもやめることのできないような立場に敢えて身をおくんだろうか? ツラいときに励ましてもらえるような人間関係を作っておくんだろうか? それとも単にツラい想いをしたことがないだけなんだろうか?

 僕には何かに打ち込んだ経験がない。そもそも頑張るのが大嫌い、できれば何もしたくないという人間なのだ。そういうわけで、手に職がつかない。努力もしないし、いろんな経験を積もうともしないからだ。

 頑張る人というのは、何故頑張りつづけることができるのだろう?