Cogito Ergo Sum.

我思う故に我あり

分業社会

 人間の構成する社会の特徴の1つは高度に進んだ「分業」にあると考える。人間以外の動物のつくる社会との比較においてだ。

 今NHKの朝のニュースを見ていて、ふと「人間社会には『原稿を読み上げることで収入を得る』という職業が存在する」ことに気づき、改めて驚いている。そんな生物は(地球上には)他にいないのだから。

 分業が成立していない社会では、1人1人が自給自足的な生活を行わざるを得ない。高度な分業が成立した社会では、(定義により)職業の専門分化が進んでおり、個々人はそれぞれのタコツボに陥らざるを得ない。

 そのような社会は、分断された社会なのだろうか? いや違う、逆だ、と言ったのが、マックス・ウェーバーだ。個人による自給自足が可能な社会では、1人で生きていけるのだから、個人の生存のために他者との協力は(本質的には)必要ではない。ところが、分業が成立している社会では、個々人が自給自足的に生きていけない以上、必然的に協力が必要になる。必要な程度の協力が達成できなかった分業社会は崩壊してしまうから、逆に言うと、成立している分業社会では(少なくとも崩壊を免れる程度には)協力が達成されている。

 1人で生きていくことが不可能だということそのものが、個人間の相互依存性の強さを示しているのである。