Cogito Ergo Sum.

我思う故に我あり

日本文化に接した衝撃

 僕は日本人だが、しかしこれは国籍が日本だというだけであって、社会科の教科書に出てくる「日本」とはずっと距離感を感じてきた。「日本」の歴史を学んでも、そこに僕が生まれ育った北海道が登場することはほとんどなく、基本的には自分の知らないところの話ばかりである。日本書紀は当然として、日本史の教科書そのものが僕にとってはファンタジーナルニア国物語と大差ない。僕があぁこれが日本というものかと初めて感じたのは、24歳のとき奈良の唐招提寺あたりを散歩したときだ。そこでは日本史の教科書で習う「日本」との連続性を感じることができた。それと同時に、自分がその連続性とはかけ離れた土地に生まれ育ったことも実感した※。僕にとって「日本文化」は教科書の中にあるものである。日本文化の素晴らしさは他人から教わるものであって、自分で感じるものではない。自分はその中にいないからである。自分が生まれ育った土地に対する愛着は当然もっているが、それは札幌への郷土愛であって「日本」への愛国心ではない。

 自分を定義しようとすると札幌人としか言いようがない。自分を日本人と定義することにはかなり抵抗がある。日本のことなんて何も知らないのである。「国籍が日本だというだけであって」と冒頭に書いたのはこのためだ。

 28〜29歳の時に網走市にある北海道立北方民族博物館を覗いてみたことがある。これが良かった。僕はここで初めてオホーツク文化というものについて知った。オホーツク海に面した、北海道、択捉、カムチャッカ半島ユーラシア大陸の民族の文化には共通性があるのだ。僕がオホーツク文化の中で育ったわけではないことは明らかだが、しかし、この時から自分を定義するキーワードの1つとして「オホーツク文化」が重要な概念となった。アイヌ模様の特徴である渦巻き模様や波模様は、オホーツク文化共通の特徴でもある。Terai, S. Web Pageで波模様を用いているのはこのためだ。また、北見・女満別地ビールであるオホーツクビールを好むのもこのためだ(嘘です。これはコジツケです)。


※ また、こんなこともあった。本州で生まれ育ったある人が、夜中に自分の家に出た亡霊は豊臣秀吉ではないかというのである。これは本当に驚いた。僕の家にも亡霊が出ないとは限らないが、豊臣秀吉は絶対に出ないと思う。マリー・アントワネットが出ないのと同じ程度に出ない。僕にとってはマリー・アントワネット豊臣秀吉も同程度に隔絶した歴史上の人物である。しかし、自分の家に秀吉の亡霊が出たという人もマリー・アントワネットの亡霊が出たとは言わないだろう。本州に生まれ育つということは、僕が教科書の中の世界だと思っていたものとの連続性を感じながら生きるということなのだと思い知った。また、彼らは僕にとって日本史の世界がナルニア国物語と同じだということが感覚としてはわからないだろうと思う。