Cogito Ergo Sum.

我思う故に我あり

あともう一歩なんだよなDSIT

 社会心理学の世界にDynamic Social Impact Theoryなるモデルがあって(心理学の世界では、ちょっとしたアイデア程度のものを○○理論と呼ぶのは普通である。ちなみに、物理学の世界では、「モデル」みたいな意味で「統計」という用語を使ったりするらしい)、以前から興味はあったんだけど、あともう一歩なんだよなとふと思う。一歩っていうのはかなりおとなしめの表現で、本当は何か決定的に本質的なものが抜け落ちてしまっているのではないかと感じる。

 心理学的発想にはいくつもの致命的な欠陥があると思うが、その1つに、人間を情報処理マシンとつい見なしてしまう、という人間観があると思う(特に、ここ30〜40年)。情報処理マシンは、情報の入力→処理→出力を行うわけで、本質的に受動的な存在。もちろん生物が自ら情報探索行動を行ったりすることは視野に入っているわけだが、それでも生物の能動的行動主体としての側面が軽視されているように思うのだ。

 Dynamic Social Impact Theoryそのものは、仮に人が受動的な存在だとして、個々人は他者からの影響を受けるばかりなんだとしても、人間は密集して生活しているから、つまり、誰でも他者にとっての環境の一部を形成しているわけだから、意図せずして自分も他者に影響を与えている、ってところが面白いんだけど、つまり、能動的に他者に働きかける側面を敢えてモデルに取り入れなくても、否応なしに生じてしまう個々人の相互影響過程がモデル化されているところ(あるいは、そういうマイクロな相互影響の波の中から創発的なマクロパターンが生み出されてくるところ)が面白いところだと言えるとは思うけど、そこでモデル化されている相互影響過程というのは、インターネットを構成しているサーバーコンピュータ間の相互影響過程と同じレベルのものだと思う。もちろん多くの心理学的アイデアにはそのレベルの相互影響過程だって組み込まれていないのだから、モデル化されているだけマシだとは思うけど、サーバーコンピュータ間の相互影響過程と人間同士の相互影響過程には何か本質的な違いがあるのではないかと思うのだ。それが何かは今はわからないけれど。そういうわけで、あともう一歩なんだよなと思ってしまうのだ。