Cogito Ergo Sum.

我思う故に我あり

わからんのだけど重要な気もする生態心理学

 生態心理学という、現在の主流の心理学的立場とはやや異なる立場をとる、心理学の一分野(?)がある。昔から気にはなっている。気にはなっているんだけど、実際のところ何を言いたいのかよくわかんない一派でもある。

 直感的には、生態心理学的な発想は、多くの心理学者が自明と考えている点に対するチャレンジであり、非常に重要なものなのではないかと感じている。例えば、少なくともここ30〜40年間の心理学においては、人間(あるいは、人間の脳)というものは情報処理マシンである、という人間観に沿って研究が進められている。「入力された情報に対して何らかの処理を行い、行動という結果を出力する、人間というのはそういう情報処理マシンである。心理学の目的は、脳という情報処理マシンの情報処理の性質とメカニズムを明らかにすることにある。」ところが、生態心理学は、こういう人間観・心理学観そのものに変更を迫るものであるように思う。「人間の頭の中で、どんな情報処理が行われているかだけを見てたってしょうがないんじゃないの?」という感じだ。

 僕は生態心理学的な発想のポイントを理解していないが、理解していないなりに以下のようなものなのではないかと想像している。「情報というものは、頭の中 or 環境の中、というように、どこかに静的に存在しているものではない。環境との相互作用の中で動的に生まれてくるものである。頭の中に取り込まれた静的な情報を処理するメカニズムだけに目を向けたってしょうがない。環境との相互作用の中でどんな動的な情報が生み出され、それを生物がどのように利用しているか、の全体を見なければ意味がない。」こんなことを言っているのではないかと思うのだ。よくわからんのだけど、わからんなりに考えると。

 こういう発想は、人間をコンピュータのようなタイプの情報処理マシンだと見なしていれば、絶対に出てこないように思う。コンピュータは環境と相互作用なんかしないからだ。で、人間を情報処理マシンと見なし、その情報処理の性質とメカニズムを明らかにしようというのが、現在の主流の心理学的立場だと思うので、その人間観・心理学観に揺さぶりをかける生態心理学的な発想は非常に重要なのではないかと感じるのだ。

 というわけで、本質的に重要なのではないかと思っているのだが、それにしても生態心理学というのはよくわからん。あまりにもわからんのでもう無視しちゃいたいのだけど、ひょっとしてムチャクチャ重要な視点を含んでいるのではないかと感じるので、無視しちゃうこともできないのだ。