Cogito Ergo Sum.

我思う故に我あり

何故、主観量は刺激の客観量の対数に比例するのか?

 その昔、精神物理学と呼ばれる分野があった。心理学史を読むと、心理学の誕生に直接影響を与えたものとして登場する。

 精神物理学とは何やらものものしい名前だがたいしたものでもない。刺激の客観量とそれに対する主観量との関係を調べたりする学問。「人間の感じ方」を科学的方法論を用いて研究しよう、というわけで、その精神は心理学そのものである。

 精神物理学で得られた知見の中で最も有名なのは「フェヒナーの法則」だろう(似たようなものに「スティーブンスの法則」もある)。刺激に対する主観量は刺激の客観量に比例するのではなく、客観量の対数に比例する、という法則である。つまり、刺激の客観量を1単位増やしたときの主観量の増分は一定ではなくて、客観量が大きければ大きいほど減少する、というわけだ。効用が限界逓減する、ってのと同じような話だ(と今思いついたんだけど)。客観的な刺激量が増えれば増えるほど、逆に違いがわからなくなってくる、というわけだ。1g(1円玉1枚分の重さ)と2gの違いに気づくことができても、1000gと1001gの違いはわからない。

 主観量が単に限界逓減するというだけでなくて、対数だというのは、次のような実験結果からわかる。例えば、まず基準となる辛さのカレーを食べる。このカレーに激辛スパイスを足していって、元のカレーよりも辛くなったと感じる最小のスパイス追加量を調べる。続けて辛くなったカレーにスパイスを足していって、さらに辛くなったと感じる最小のスパイス追加量を調べる。これを繰り返す。辛さの違いに気づく最小のスパイス追加量は一定ではない。少しずつ増えていく。どのように増えていくかと言うと、等比的に増えていくのである。つまり、ある辛さに対応するスパイス量と、それより辛いとギリギリ感じるスパイス量の(差でなく)比が一定なのである。

 仮想的な例として、次のような場合を考えてみる。スパイスの客観量1に対してギリギリ辛さの違いのわかるスパイスの客観量が2だったとする。2に対してギリギリ辛さの違いのわかるスパイス量は4、4に対して違いのわかるスパイス量は8、8に対して16、16に対して32、・・・。逆に、感じる辛さの側から見れば、スパイス1(= 20)に対する主観量を0とすると、スパイス2(= 21)で辛さは1単位増加して1、スパイス4(= 22)で辛さは1単位増加して2、スパイス8(= 23)で辛さ3、スパイス16(= 24)で辛さ4、スパイス32(= 25)で辛さ5。あくまでこれは仮想的な例だが、スパイスに対する辛さという主観量がスパイスの客観量の対数になっているわけである。辛さを1から10へ10倍にしたければ、スパイスの量を10倍しただけではダメで、524(= 29)倍しなければならないのだ。

 不思議なのは、そもそも何故、心理量は刺激量そのものではなく、刺激量の対数に比例するのか、ということだ。刺激量に比例、で何か不都合があるだろうか。逆に言えば、対数に比例することによって得られるメリットは何だろうか。この問題を考えていたら、心理学において感覚・知覚・認知と呼ばれるものの本質が多少見えてきたような気がする。

 今のところの結論は、心理量が刺激量の対数に比例するのは「平均値の大きい刺激は分散も大きい傾向が自然界に存在しているから」。そして、見えてきた感覚・知覚・認知の本質とは「刺激の正確な認識」ではなく「刺激の違いに気づくこと」である。

 心理量が刺激量の対数に比例するということは、刺激量が大きいほど感覚はだんだん鈍くなる、ということである。このことが何の役に立つのか。

 おそらく、感覚・知覚・認知にとって最も重要なのは「異なる刺激量を比較して、その差を意味あるものと見なすかどうかを判断する」ことである。意味のある比較は、平均からの差の大きさをその標準偏差に照らして初めて可能になる。刺激の平均値が異なっても標準偏差が同じなのなら、敢えて標準偏差を考慮する必要はなく、差そのものを見ればよい。しかし、平均値と標準偏差には正比例の関係が多くの場合ある。 例えば、カブトムシの体長(平均10センチ? 標準偏差2センチ?)、人間の身長(平均175センチ? 標準偏差15センチ?)、ガンダムに登場するモビルスーツの高さ(平均19メートル? 標準偏差1メートル?)

 「違いに気づく」という観点から考えると、刺激量の分散が大きくなれば、刺激に対する鈍感さも大きくすべきことは当然とも言える。月の売上が20万円から10万円に減った変化には注目すべきだが、1000万円から990万円への変化には注目すべきではない(真に偶然の変動である可能性の方が大きいから)。スケールが大きくなったら、細かい違いに意味を見出さないことに積極的なメリットがある。グラフのメモリを対数メモリに変更した途端に、思わぬ外れ値に気づくこともある。

 刺激の大きさに応じて鈍感さを増やすだけなら「対数」である必然性はないが、さきほどのカレーの辛さを例に使えば、センサーの設定は「常に2倍になったら気づく」に固定しておけばいいのだから、能動的にセンサーの感度を変化させる必要もない。

 もし、上で考えたのとは逆に、刺激の絶対量が大きいほど分散が小さい、というような傾向がこの世に存在しているのだとしたら、刺激に対する敏感さがどんどん鋭くなっている方が合理的である(刺激量が大きいほど違いに敏感)。もし世界がそうできているのなら、主観量は刺激量に対して指数的に増加するようにセンサーをセッティングする必要がある。

 センサーにとって重要なのは、違いを識別することなのだ。