Cogito Ergo Sum.

我思う故に我あり

今日も少し走る。

 ここ2週間くらいの間に10日ほど走った。

 これは快挙である。僕は3日坊主以前の人間で、大抵のことは2日くらいしか続かないからだ。熱しにくく冷めやすい、といういつも低温の人間なのだ。

 僕が3日坊主以前なのは、たぶん僕が長期的な観点に立つのが苦手だからだろう。コツコツとした努力みたいなものは、長期的な展望がないと続けにくいものではないだろうか。僕は基本的に近視眼的な人間で、何かするとき、即座にその場で報酬が与えられないとすぐにやめてしまう傾向がある。だってつまらないんだもん。

 今回朝走るのが3日続いたのは、毎日毎日明らかに楽に走れるようになってきたことを実感することができたからだ。数週間続けないと効果なんか出ないと思っていたのに。

 1日目は、近所の小学校のグランド7周で息があがった。2日目は10周。3日目は14〜16周走ることができた。そして今日、ついにグランド50周、約10kmを走り続けることができた。

 考えてみると、走るのが少しずつ楽になってきたのは続けて走ったせいではないかもしれない。朝は寒いので最近は夜走ることにしたのだが、単に暖かい方が体を楽に動かせるということかもしれない。お酒を多少控えるようになった、という変化もある。お酒を飲んだ次の日走ると背中が痛くなるような気もする。しかし理由はどうあれ、毎日何かが改善されていくのを実感できれば、その作業の継続は可能だ。

 問題は必ずどこかで壁にぶつかることだ。次第に楽になり具合は小さくなっていくだろうし、後戻りすることだってあるだろう。短期的報酬が短期的費用を上回っている間はよいのだが、それが逆転してしまうと、いわゆる「努力」を続けることがもうできなくなってしまう。努力は誰でもできると思っている人がいるが、それは大間違い。努力にも向き不向きはある。それが何であれ継続することが最も苦手、という人間もいるのだ。