Cogito Ergo Sum.

我思う故に我あり

レビューワーレビュー

 こないだ偶然目にした2件のレビューは両方ともとても良いレビューだった。

 1つは、山形浩生の書いた、コンピュータプログラミングに関する本のレビュー。もう1つは、沢木耕太郎の書いた、現在公開中のある日本映画に対するレビュー。どちらもとても良いレビューだと思ったけれど、その性格は正反対に思うほど違う。

 山形浩生のレビューは、紀伊國屋書店のWEBページ上に掲載されていたもの。とても面白かったのだけど、正直読んでいるうちに気が滅入ってきた。こんなレビューをいつか書けるようになりたいものだ、でも一生かかっても無理だろうなぁ、と思ったからだ。何と言うのでしょう、この人はいろんなことを知っていて、あらゆる関連性が見えているのだろうなぁ、という印象。僕は、ピンとくるのが普通より遅いタイプだから、このタイプのレビューを書けるようには絶対にならないだろう。

 沢木耕太郎のレビューは、彼が朝日新聞でときどき書いている映画評の1つ。僕はこれまで彼の書いたものを読んだことがなかった。アテネトリノのオリンピック観戦記が朝日新聞に掲載されていて、読んでみるとその独特の視線に魅了された。オリンピックの大歓声に包まれているはずなのに、彼の文章には静寂を感じる。何かを見て、バーッと頭が働き出すというより、スッとある1点に目が止まってしまう、その視線の特異さに彼自身が表れているような気がする。そして、何かを感じたときに、自分は今何を感じているのだろうか、と自問するようなところがあるように思う。このタイプのレビューはいつか(それは僕の生きている間ではないかもしれないが)書けるんじゃないかという気がする。目指すならこっちのタイプだ。

 別に本や映画のレビューワーになりたいわけじゃない。自分の視線みたいなものをもちたい、ということか。