Cogito Ergo Sum.

我思う故に我あり

『鏡の法則』を読んだ。

 『鏡の法則――人生のどんな問題も解決する魔法のルール――』(野口嘉則 2006年 総合法令出版)という本が売れているそうだ。このテの本はどうも好きではないのでずっと無視を決め込んできたのだが、本書がAmazon.co.jp書籍販売冊数の2006年トップ10に入っていると知ってどうしても黙っていられなくなった。買うのも悔しいので本屋で立ち読みしてきた。

 本書は、もう悩んじゃって悩んじゃって藁をも掴みたい人のための藁として提供されている。著者が何者なのかよくわからないが、自己実現カウンセラーみたいな感じの人。企業の研修とかを担当するような職業の人か。つまり、悩んでいる人に「この人の話はタメになった」と思わせる、ある種の名人芸をもっている人だと思う。

 内容的には、まず前半部で、小学生の一人息子が軽いいじめにあっているのに親に相談してくれないことを思い悩む40歳前後の主婦が、藁をも掴む想いでダンナの知り合いのカウンセラー風の男に電話で相談し、男の指示に従い、父親やダンナに対する感謝の念を胸に抱き息子を信頼することにして号泣していたら、何の偶然か(もちろん彼女の行動と関係があるはずがない)息子のいじめ問題が改善されそうな兆しが見えてきた、という感動実話を紹介、後半で、男の指示についての解説を行っている。

 どうやったら本書を好意的に評価できるか考えてみると、まず、前半の感動実話を読んで「感動した」という評価の仕方があり得る(アマゾンのカスタマーレビュー等に「気づいたら泣いていました」「涙がとまりませんでした」等のレビューが大量に投稿されている)。第2に、感動実話や解説を読んで、「これまで見えなかったものに気づくことができた」「自分自身を縛り付けてきた自分の想いから自らを開放する方法を学ぶことができた」という、誉め方もあるだろう(こういうレビューも多い)。第3に、本書の指示に従ってみたら、長年抱えてきた問題が解決されました、というのもまぁあり得るだろう。何に問題解決の原因を求め何に感謝するかは、その人の自由である。

 実際のところ、この本、多くの人を感動させているらしい。人々は、前半の感動実話で泣き、普段ないがしろにしていた本当は大切な人の自分に対する想いを知ることができた、と著者に感謝までしている。何故か「実話」というものにやけに弱い人たちがいる。数人で1杯のかけそばを分け合って食べるしかなかった家族が数年後人数分のかけそばを注文できるようになった、というだけで泣くんだから、チョロイもんである。泣かす技術をもっている人にとっては、人を泣かすことは実は簡単なことだ。これは泣かせる小説としてのうまさ。口うるさかった父親が年老いて、突然の娘の感謝の言葉に涙を流し、電話からは嗚咽が聞こえてきた、なんて、そんな話、ある一定以上の年齢になれば泣かずにいられないに決まっている(実は僕も本屋で立ち読み中に涙ぐんで困った)。人々は感動して泣きたいのだ。韓流映画を観て、母の想い、父の想いを知り、家族の絆、いつもそばにいてくれた友人、あぁ、本当に大切なものは失って初めてわかる、この映画を観て本当に大切なものがわかりました、なんて感動しているのと同じなのだ。それはそれで悪くない。芸術作品というのはそういうものだ。

 だから、この本がそういう芸術作品なんだと思えば、批判する点は特にないのかもしれない。実は実によくできているのだ。まず、感動実話は会話文主体で読みやすく、文字も大きいので、じっくり読むタイプの人でも物語部分だけなら30分かからないで読むことができるだろう。難しい話(解説)は後回しにして、ただ主人公の女性が何を指示されて、何をしたのか、そうしたら何が起きたのかだけが書いてある。映画を観るのと同じで、頭を使う必要はない。本のデザインは真っ白で心が洗われるような気がするし、画用紙のように厚く柔らかな紙の手触りが心地よい。触れているだけで癒されてしまうのだ。また1000円という価格設定もうまい。安すぎるとアリガタミが感じられないからだ。さて、一通り感動させた後で解説が続く。この解説、確かにもっともらしいことが書いてある。しかも心理学のお墨付きだという。現代は心の時代。何だって心の問題に還元してしまう時代だ。心理学の専門家は「人生のどんな問題も解決する魔法のルール」を知っていると多くの人は信じているのかもしれない。もちろん、そんなルールは存在しないし、心理学の専門家もそんなものは知らないのだが。「これさえ食べれば健康にやせることができる」、そんな食品は存在しないし、そんな食品を知っている専門家も実はいない、ということと全く同じ話だ。本書の指示通りに行動することのコストが小さいというのもポイントだ。本の中の女性が実際にやったのは電話をかけることくらいである。ダイエットより簡単だ。専門家に電話をかけて、指示に従い、実家に電話をかける。出前をとって、息子やダンナとの会話の時間を大切にする。その日のうちに問題は解決。これくらい話を単純にしないと売れないらしい。というわけで、この本から本当に学ぶべきは、プレゼンの巧みさと売れる本をつくるテクニック。

 もしもこの本が芸術作品ではなく実用書なのだとしたら、本書で書かれている事柄は正しいのか、根拠があるのか、本書で示されている方法には現実の問題を解決する効果が本当にあるのか、という点が批判の対象になる。

 内容について言えば、本文中で太字で書かれている大事なところ、例えば、「現実に起きている問題の原因は本人の心の中にある」(これが「鏡の法則」)とか、「乗り越えられない問題は存在しない」とか、「あらゆる問題は本人に自己成長を促すキッカケとして生じる」等には、何ら根拠がない。もちろん根拠がなくたって、それを信じるのは本人の勝手である。だが、それを信じろというのなら、根拠を示す必要がある。また、そのような法則や本書の指示の背後には心理学理論があるとされているが、もちろんそんな理論は存在しない。つまり、根拠のない主張をしていること、心理学的な根拠があるとしていることの両方が、実用書としては批判されることになる。

 こういった批判に対しては、根拠がなくても効果があればいいじゃないか、という意見があると思う。僕自身は、おそらく本書の指示に従っても現実の問題の多くは解決されないだろうと思う(ただし、後で述べるように、ある種の問題に関しては、解決の方向へ進む可能性もあるとは思う)。本書で挙げられている感動実話で言えば、主人公の女性が自分の父親やダンナに対する感謝の念をもち、息子を信頼する気持ちをもった「ことによって」、息子に対するいじめ問題が解決の方向へ向かう、というのはどう考えてもおかしい。息子に対するいじめ問題は、彼女が身近な人間に対してとっている態度のせいで起きているわけではないのだから。もちろん、1匹の蝶々の羽ばたきが地球の裏側で台風を引き起こすこの世の中だから、全く関係のない事柄なんて存在しない、全ての事柄は何らかの形で関わり合っている、と言うことはできる。言うことはできるが、その効果は通常ゼロと見なされる程度に小さいだろう。蝶々の羽を羽ばたかせて、意図的に台風を発生させることは今のところ(そしておそらく将来も)できないのだ。

 もちろん、主人公の女性の対人的態度がかわることによって女性の対人関係がかわっていく可能性はあるし、その対人関係における(あるいはその対人関係のあり方に起因する)問題が解決の方向へ動き出す可能性はある。感動実話の女性は、父親との関係を新たに築き直すことができそうだし、父親への感情の持ち方の変化がダンナに対する感情の持ち方を変化させ、それが息子の母親に対する感情の持ち方を変化させるかもしれない。息子がいじめられているということが問題なのではなく、息子が自分に相談してくれないという点が問題の本質であったのならば、彼女の対人関係の捉え直しや対人的態度の変化が問題の解決に役立つこともあるだろう。また、彼女の対人関係のあり方が変化したことによって、息子の対人関係のあり方が変化し、そのことが、息子のいじめ問題の、息子とクラスメートとの対人関係のあり方に起因している部分を解決する、ということはあり得る話である。しかし、このいじめ問題の、息子自身の対人関係のあり方に起因していない部分は解決されるはずがない。解決される理由がない。そして、世の中で起きている現実の問題の多くには、自分や自分が影響を与えることのできる人間それぞれの対人関係のあり方以外の事柄に起因している部分がある。だから、この本の指示に従って解決される可能性のある問題は、自分自身の身に起きる多くの問題のうちのほんの一部に過ぎない(もちろん、ほんの一部であれ解決できる可能性があるのであれば、それはそれでアリガタイ話だとは思う)。

 ちょっと手厳しすぎるような気もしてきたので、少し本書の味方をすると、「乗り越えられないような問題はなく、現実に起きているどんな問題も自己成長を促すサインである」という意見そのものには根拠がないとしても、本当にそう信じて行動することによって何らかの問題の解決が促される、という可能性もないわけではないとは思う。解決できないと思い込んでしまえば対策をとらなくなるし、それでは解決できる問題も解決できなくなってしまう。どんなトラブルが起きてもめげないどころか、それを逆手にとって成長していく、というのは(松田聖子を除けば)なかなかできることではない。人はそうあるべきかもしれない。

 実はこの本に書かれていることの全てがデタラメだというわけではない。対人関係において、自分が他者にとっている態度が固定化しているために、他者が自分に対してとる態度も固定化している、ということはよくあることである(もちろん、自分が他者にとっている態度が固定化しているのは、他者が自分に対してとっている態度が固定化しているからだ。つまりお互い様なわけだ)。嫌われていると思うと、たいていの人はその他者に対して親密な態度をとることができない。しかし、何故その他者がそのような態度をとっているかというと、自分が「嫌われていると思って親密な態度をとることができないから」である場合がある。そのような場合、自分自身の行動がかわることによって他者の行動もかわる、ということは大いにあり得ることである。何故、あの人は自分に対してあんな態度をとるのだろう?と不思議に思うような場合、その理由は自分自身がその人に対して防衛的にとっている態度にある場合がある。人は、自分が被害者なのだと思えば、怖ろしく冷たい態度を他者に対して示すことに抵抗を感じなくなる。そして、お互い自分が被害者だと思っている、なんてことはよくあることだ。

 カウンセラー風の男が主人公の女性に、両親との関係性について考えさせたというのも、なかなかうまい。人生において最初に形成する重要な対人関係は親子関係だから、親子関係の歪みが他の重要な他者(配偶者、子ども、仕事上のパートナー、等)との対人関係の歪みに引き継がれることはよくあることだ。男の指示が、日本生まれの心理療法である内観法の手法に似ているのも面白い。また、大切な人に「ありがとう」と100回唱えろ、みたいな指示も出しているが、これも侮れない。毎日100回も唱えていれば実際に感謝の念が沸き起こってくる可能性は大いにある。心が原因で行動が結果だと考えているとビックリするかもしれないが、心が伴わなくてもある行動を実際に何回も行っていると、通常その行動の原因と考えられているよう心のはたらき(例えば、ある種の感情状態)が現れてくる場合がある。つまり、本書の指示に形だけでも従っていれば、重要な他者に対する感謝の念のようなものが実際に沸き起こってきて、彼らに対する態度のとり方といったものが実際に変化する可能性はあると思う。そのことが他者の行動を変化させることは当然あり得るから、それが両者の間の対人関係を実際に変化させることも当然あり得る。そこに何らかの問題があったのなら、それが解決の方向へ動き出す可能性も、ないとは言えない。

 男がときどき認知的不協和のテクニックみたいなものを使っているのも面白い。ずっと憎しみを抱いていた父親に感謝の言葉を伝えさせるような場面で、男は女性にその行動を強制しない。強制してはダメなのだ。強制はしないんだけど、実際に行動するかどうかはあなた次第ですとか何とか言って、実際は思った通りの行動をさせている(この辺は優秀なセールスマンの使うテクニックである)。強制されたわけではないのに別にやりたかったわけでもない行動をとることにしてしまった人間は、本当は自分はそれをしたかったのではないか、そういうことをする人間だったのではないかと思い始める。何故なら、強制されたわけでもないのに現に自分はやったのだ。その行動を生み出す何かが自分の中にあったに違いない(と思い始める。これが狙い)。

 というわけで、この本、泣かせる本としては、実は意外とよくできている。実用書として見ると、書いてあることに根拠もないし、この本に「人生のどんな問題も解決する魔法のルール」が書かれているとも思わない。そもそもそんなルールがあるように読者に思わせるのも望ましくないと思う。どうして僕がこのテの本を嫌いなのかと言うと、藁にもすがりたい想いをしている人を救うものではなく、単に食い物にしているように感じるからだろう(一時的に救われたような気分になることはあるかもしれないが、現実の問題の多くは解決できないだろう)。「気づき」のためのヒントみたいなものを提供するのは悪くないと思うし、この本の中に書いてあるような法則を本当に信じることによって何かポジティブな効果があるのであればそれはそれで素晴らしいとも思うのだけど、現実のあらゆる問題の原因を本人の心の中に求めることは、本当の原因がそこにないような問題の解決を大きく阻害してしまうことにも問題を感じる。何でも心の問題に還元してしまうのは、心の問題を全く考慮しないのと同様に誤りである。この辺、我ながら妙なコダワリがあって、「あなたの身の回りで起きていて解決できそうにもないと思っている問題の中には、あなた自身がそう思っていることによって実際に解決が難しくなっている問題もあるのです。だから、あなたの自身の行動の仕方をかえることによって、無理だと思っていた問題の解決が案外簡単にもたらされることもあるのです」みたいな言い方だと、それほど頭にこないのかもしれない。いや、結局そういうことが書いてあるのかな?