Cogito Ergo Sum.

我思う故に我あり

日中韓のそれぞれ根拠のない話

 いつだったか、日本に来ている中国人留学生が、「(独りっ子ではなく)兄弟姉妹のいる子どもは協調性に欠ける傾向がある、と中国では言われている」と言っているのを聞いて面白く思ったことがある。

 理屈はこうだ。「(中国の子どもの大部分を占める)独りっ子は他の独りっ子との対人関係において小さなころから揉まれている。それに比べて、兄弟姉妹のいる子どもは、身内という隠れ蓑があるため、対人関係スキルが育たない。」

 何故これを面白いと思ったかと言えば、もちろん、日本では正反対のことが言われているからだ。「子どもは兄弟姉妹との競争関係の中で対人関係スキルを学ぶ。独りっ子は、そういう競争関係を経験しないので、ワガママな子に育つ。」

 先日、韓国語テキストのコラムを読んでいて、面白い記述を見つけた。曰く「韓国では、三女は忍耐強いと言われている。何故ならお兄さんやお姉さんのいる環境で育って、自然と我慢することをおぼえるからである。」

 これも日本では正反対で「末っ子は親に甘やかされて育つから、ワガママになる」みたいに言われていると思う。

 これは、社会環境や生活文化が異なれば、兄弟姉妹の有無や誕生順とパーソナリティ・対人関係スキルの習得との間に成立する関係も異なる、ということを意味するのだろうか。心理学の研究では、例えば、誕生順とパーソナリティには明確な関係は認められていない、ということになっていたんじゃなかったかなぁ。関係が認められない、という研究が大部分で、関係が認められる、という研究もチラホラあったりして、でも、それが予想通りの関係だったり、正反対の関係だったり、一貫した関係は示されていなかったんじゃなかったかと思う。もし、社会環境や生活文化によって、それぞれ異なる関係が存在しているのなら、一貫した関係を見出せずにいるのは当然だ。

 ただ、そうじゃないだろうなぁ、という気分。一貫した関係が認められないのは、社会環境や生活文化によって異なる関係が存在しているからではなくて、そもそも本当に関係がないからだろう、という印象(たくさんの研究を行えば、そのうち何度か関係がありそうだという結果が得られるのもまた当然)。どこの世界でも皆根拠のないことを言っている、という、ただそれだけのことに過ぎないと思うのだ。

 昔、「大学受験に失敗したことのない人間は挫折した経験がないので、将来打たれ弱くなる」なんて話を聞いたことがある。僕の従兄弟が推薦入学で大学進学を決めるかどうか迷っていたとき、その母親は本気で心配していた。「やっぱり受験を経験させた方が将来のためになるのだろうか。」根拠なんてなくても、人は妙な信念をもつようになるし、それが社会通念として普及することもある。「多くの人が言っているんだから、それなりに正しいんだろう」なんて判断は全く当てにならない。ところが、多くの人が「多くの人が言っているんだから、それなりに正しいんだろう」という判断をすることが知られている。面白いのは(おそろしいのは?)一度「そういう関係もあるかもしれないな」と思ってしまうと、本当にそういう関係が見えてきてしまうことだ。血液型と性格・パーソナリティには全く関係がないが、多くの日本人は(最近は台湾人と韓国人も)、そこに何らかの関係があると信じている。だからこそ、統計学が必要なのだ。