Cogito Ergo Sum.

我思う故に我あり

似たようなことを他人事として考える機会があったんだった。

 先日、本屋で大学生向けの就職活動(面接対策?)の本をチラッと立ち読みしてみて、ものの数秒後にはウンザリしていた。

頻出質問:
 「あなたはものごとをポジティブに考える方ですか? それともネガティブに考える方ですか?」
模範回答:
 「ポジティブに考えるタイプです。ビジネスにおいても、自分のプラス思考が役立つと思います。」
著者解説:
 「ここでは『ポジティブ』が正解です。迷う質問ではありません。」

 こういうの読むと冗談じゃなく眩暈がしてしまう。だってネガティブ思考の人はどうすればいいの。世の中、プラス思考だけで成り立っているわけじゃないのに。面接というものはそういうものなんだと割り切って、ポジティブに乗り切ってしまえばいいのだろうけれど、そう簡単にはいかないよ。僕は筋金入りのネガティブシンカーだからね。就職活動ってのは「嘘で身を固める」ってことなのかなぁ。はぁ、ウンザリ。

 そんな気分だったのだけど、最近ちょっと似たようなことを考える機会があったことを思い出した。

 コトの起こりは数週間前、昔の知り合いから「研究計画書を書いてる途中なので、ちょいとコメントちょうだい」と頼まれたこと(何故僕に…といまだに不可解)。僕も大学院生時代にそういう研究計画書を書いたことがあるが、概して苦手だった。それと言うのも、「研究計画書なんて『嘘だらけ』じゃないか」と思っていたからだ。

 実際の研究というものには、多かれ少なかれ「行き当たりばったり」的な側面があると思う。新しい研究を始めるときには「数打ちゃ当たる」式でやってみるしかないんだし、研究を進めていくうちに徐々に問題の輪郭が見えてきたりするものだし。

 ところが、研究計画書としては、それをそのまま書くわけにはいかない。「自分には独創的なアイデアがあって、これまでの研究も着実に進んでいる。自分の研究の限界も把握していて、それを克服する方法までわかっている。次の研究では大きく前進する」と書かなきゃならない。途中で路線変更する場合だって、「研究を進めてきた過程で、これまでの問いがより大きな問いの一部分であることが明らかになってきた。これまでの研究成果をより大きな枠組みの中に位置づけ直して、これからはその大きな問いそのものを扱う」っていう風に書かなきゃならない。

 そういうのを直感的に「嘘」だと感じてしまう人間なので、研究計画書を書くのは苦手だった。僕には対応策は2つしか思いつかなくて、嘘だと思いつつ割り切って書いてしまうか、自分で書いた嘘を本気で信じてしまうか。性格的に後者の方が簡単だったんだけど、それはそれで今度は現実に戻って来れなくなってしまうという問題があった。

 だけど、研究の世界とは距離をおいて、一読者として他人の書いた研究計画書を読んでみると、「ありのまま」を書かれたって面白くないんですね。やはりそこにある種の物語性を求めてしまう。問題の枠組みを明確に示し、これまでの成果と限界が明らかになってくると、「次の一手は!?」とついワクワクしてしまう。そこで斬新な方向性が示されれば、「ぅゎわあああ、そりゃ面白れぇええ!」と大興奮してしまう。そりゃ、読む方の立場に立てば、研究計画書はそう書いて貰わなければツマらない。思わず身を乗り出して聞き入ってしまうのは、そういう話。自分じゃそんな研究計画書を書くのは嫌だけど、他人にはそういう研究計画書を書いて欲しい。

 これはまさに「他人事」のメリット。自分が自分であることのデメリットは自分には他人事態度をとれないこと。他人事として考えると、「自分はポジティブなタイプで、これまでもいろいろチャレンジしてきた。失敗もしたが、そこから多くを学んだ。この会社でなら自分のこれまでの経験を活かせる。活躍して会社に貢献したい。」って言ってくれなきゃツマらない。本当に世の中そんなヤツばかりだとは思わないけれど、「面接のときくらいそう言え」ってのはわかるなぁ。

 自分でついた嘘を信じ込んじゃうのはいろいろアブないんで、うまく割り切れるといいんだけど。