Cogito Ergo Sum.

我思う故に我あり

いくつかのコンプレックス

 下らないコンプレックスというものは誰にでもあるもので、僕にもそんなコンプレックスがいくつかある(猫舌だとか)。ただ、そういうコンプレックスを克服できたり多少軽くすることができると、意外と自分自身に対する自信(と言うか「僕、大丈夫」感)が強まったりするから、一概に下らないと捨て去ることもできない。

 例えば、C言語コンプレックス。僕が初めてそれなりに使えるようになったコンピュータプログラミング言語はQuick BASICというマイクロソフトの製品で、その後Visual BASICに移行したため、いつまで経ってもC言語を身につけることができなかった。これは、中学・高校・大学と10年間英語を習っても一向にできるようにならない、というのと本質的に同じことだと考えている。日本に住んでいて英語ができなくたって何ら困ることはないのだから、英語ができるようになるわけがない。BASICで事足りるなら、C言語が身につくはずがない。

 しかし、C言語ができなくてBASICしかできない、というのは端的に言って「格好悪い」(これも、英語ペラペラは「格好良い」というのと同じ)。C言語に対する憧れ、C言語ができない自分に対するコンプレックス、というものは常にあった。アセンブラの入門書を読んでみたり、JAVAに強く惹かれたりしたのは、(元来コンピュータ好きだったのだとは思うが)C言語コンプレックスの故だと思う。

 そんなC言語コンプレックスから開放されたのは、MD5ハッシュ値を返すプログラムをC言語で書いてみたら書けちゃったとき。それは、C言語コンプレックスを感じ始めてから10数年後のことだった。今でもC言語は僕にとって実用的なツールではないが、そのことで悩みはしなくなった。C言語、出来るに越したことはないが、出来ないからと言って、so fuckin' what? そう思えるようになったのだ。悩み事が減る、というのは単純にいいことである。

 それから、数学コンプレックス。小学校・中学校と算数・数学は一番の得意科目だったのに、高校1年の数Ⅰでわからなくなってしまった(今でも「不等式」の問題ができない。何故できないのかわからない)。休み明けの200点満点の実力テストで11点という(まさに記録的な)大敗を喫し、以降「数学ができない」というコンプレックスを持ち続けることになった。

 ただし、小学・中学まで得意科目だったのは事実で(しかも、単に計算が得意だったとかいうのではなくて、概念的に完全に理解していた自信があった)、「できないはずはない」という気持ちもあったため「数学なんてもう自分には関係ない」と思うこともできなかった。

 それで、数年前から一般向けに書かれた数学入門や数学読み物を読むようになった。30冊くらい読んで、ようやく数学コンプレックスから開放された。高校以降の数学ができるようになったわけではないが、自分の中に(小中時代に築いた)僕なりの数学的世界が広がっているのは感じるし、その世界を楽しむこともできる。そういう世界をこっそり隠し持っているというのは、むしろ誇りですらある。

 そして、英語のリスニングが全然ダメだというコンプレックス。現在市販されているほとんどの語学テキストには、(それが何語であっても)ネイティブスピーカーによる音声CDが付属しているようだ。僕の中学・高校時代はまだCDが普及していなくて、妹はカセットテープの付属した英検用のテキストなんかを買っていたが、僕はそれを聞いてみようと思ったことはなかった。そもそも中高時代、英語の授業で「英語を聞き取る」という考え方はほとんど存在しなかったように思う。英語のスキルというのは、書かれた英文を日本語に翻訳するスキルのことだと思っていた(そしてそれ故、そのスキルで重要なのはむしろ日本語による表現力だと思っていた)。英語がコミュニケーションの道具だとは僕は考えていなかった。

 ただ、学校の英語という科目は好きだった。しかも、文法の勉強が好きで、今でも「文法が嫌いだ」という人が多いらしいことが信じられない(僕の語学好きは、要するに文法の勉強が好きだということなのだと思う。コンピュータプログラミング言語が好きなのも、文法好きに通ずるのだと思う)。英語という言語そのものも好きで、言語として考えると日本語より好きなくらいだ(ただし、そう思うのは、僕が日本語の文法の勉強をしたことがないからかもしれない)。

 僕が英語を聞き取る必要に初めて迫られたのは大学院生のときで、海外の研究者(ネイティブスピーカーとは限らない)が英語で研究発表をするのを聞いたり、研究室を訪れた外国人研究者とコミュニケーションをとらなければならなくなったときだ。それまで生の英語を聞いたことなんかなかったのだから、当然聞き取れない。他の大学院生もそうだろうと思っていたら、何やら僕よりは聞き取れているようである。と言うよりも、どうも僕より聞き取れていない人はいないようだった(もちろん、実際のところどうなのかは誰にもわからないわけだが)。

 これには愕然として、一時期「これでバッチリ! 英語リスニング」みたいなCD付きの本を数冊買って来て、熱心に聴いてみたこともあるが(そのために、ポータブルCDプレイヤーまで買った)、もともと人見知り傾向もある上に、緊急事態に直面すると異様にオロオロしてしまうタイプだし、その後、大学院の方針でジャンジャン海外から研究者が訪れることになったのだが、かえって消極的な態度をとるようになってしまった。外国人と対面すると途端に固まってしまう人がいるが、僕はまさにアレ。頭の中が真っ白になってしまうのだ(「ハングアップ」と僕は呼んでいる)。

 もう完全に英語のリスニングは諦めようと思ったのは、大学院の延長線上にいたときに2度海外の学会に参加したとき。中国とニュージーランドに行ったのだが(しかも、北京には10日間、ウェリントンには2週間も滞在した)、苦痛を通り越して単に恐怖体験。僕と同室だった2人の大学院生は、僕を海外に行かせるのは無理だと悟ったと思う。ホテルの部屋から一歩外に出るのも怖がるからだ。僕はもともと怖がりで(これは、世間一般に対する不信感がその根底にあるのだと思う)、国内旅行も嫌いだし、そもそも歩いて行ける範囲を越えた場所に行くのにかなりの勇気を必要とするのだが、言葉が通じないという恐怖感はかなりのものがあり、とにかく日本に帰る日だけを指折り数えて待ち焦がれていた。一緒に行った人の中には怒り出す人もおり、僕は完全に罰ゲーム気分なのだが、日本にいる人には羨ましがられ、もう最悪。帰国後、パスポートを破って捨ててしまった(と・こ・ろ・が、パスポートって丈夫でなかなか破れないんだな、これが)。海外に行かないのであれば、英語のリスニングができなくてももう全然構わない。僕が生きてる間に、英語ができなくて困るように日本社会が激変することは多分ないだろう。

 英語を捨てた、という気持ちがちょっと揺らいできたのは、韓国語の勉強を始めてからで。韓国語の勉強をしていれば、朝鮮半島の文化や歴史にも興味が出てくるし、ソウルなんて近いんだし、映画のロケ地巡りなんてしてみたいな、とフと思うこともある。僕はスノーボードを始めたときに数年振りにリフトに乗るのが怖くて、まずリフトに慣れるために、わざわざスキーを買って数回スキー場に行ったほどの慎重派である(何故、レンタルで済まそうという発想が浮かばなかったのかが不思議。僕は不可思議なお金の使い方をすることがときどきある)。もし韓国に旅行に行くなら、韓国語の勉強の前にまず英語の勉強だ。それに最低限の英語ができるなら、行ってみたいところは本当はある。ヨーロッパの石畳の街並みとか古い建築とか興味あるし、ゴーギャンの絵に描かれているタヒチにも行ってみたい。僕に度胸があれば、トルコのモスクとかも観てみたい。ネパールには、その名も「テライ」地方と呼ばれる地域がある。もともとの怖がりの部分はどうしようもないとして、海外に行くことの恐怖感の大部分は僕の場合言葉が通じないことなんだから、英語のリスニングが出来れば英語圏なら行ってみる気になるかもしれない。

 こんなことを書き始めたのは、ひょっとすると英語のリスニングが少しはできるようになるかもしれないと思い始めたからだ。英語学習サイトのsmart.fm(旧iKnow!)で英語のリスニングの練習を始めた。レベルは初級で、中学英語レベル。せいぜい10語程度の短文を3日で1000例文も聴いては英文タイプ練習ソフトよろしくキーボードから入力していたら、いわゆる「英語耳」の萌芽のようなものができつつあるように思うのだ。たった3日で。英会話というのは度胸が大事だと思うのだが、リスニングは度胸があっても仕方がない。中学レベルの簡単な英文をネイティブスピーカーの発音で1000でも2000でも好きなだけ聴ける環境を手に入れた、というのは大きい。ひょっとしたら、俺、多少英語聞き取れるようになるんじゃないかなぁ、なんて気になってきた。よく僕は言うのだが、僕は自分にもできるんじゃないかと自分で思うようなことはソコソコできるようになる。ひょっとしたら、少しは英会話ができるようになるかも、と思うようになったことは、僕にとっては非常に大きなことなのだ。何せ普段歩いて行ける範囲から滅多に出ないような人間なのだ。ヨーロッパになんて出かけたら、(月にでも行って来たか、というくらいの)もの凄い衝撃を受けるはずなのだ。