Cogito Ergo Sum.

我思う故に我あり

「そりゃそうだろ」

 阿波踊りのイベント後、徳島県のコロナ感染者数が過去最多を更新中、というニュースを見かけた。「そりゃそうだろ」と僕は思った。

 で、「北海道マラソン」だが…、2万人ものランナーが参加する大会で、参加者中にコロナ感染者が1人もいない、なんてことは絶対にないと思うのだ(こんなに感染者が増えているのに(増えている「から」?)、元々は参加者に求めることになっていた「ワクチン2回以上接種証明の提示」や「陰性証明の提示」はどういうワケが求められないことになった)。ほとんどは無症状感染者だろうが、中には体調が悪くて「ひょっとしてコロナ…?」と疑っているのに参加する人や、感染していることがわかっているのに隠して参加する人もいるだろう。

 北海道マラソン後に北海道のコロナ感染者数が過去最多を更新することになるかどうかはわからないが(北海道マラソンがなくても更新しそうだけど(笑))、北海道マラソンに参加したことでコロナに感染するランナーはかなり発生するだろうと思う(だって皆、マスクしないで大集団でハァハァ息を切らして走るのだ)。僕もそのうちの1人になるのかもしれない。

 だから、検査キットを買っておいたり、マラソン大会後の1週間くらいは実家(高齢の両親がいる)に行かない方がいいな、と思っているのだが…。

 もしも「北海道マラソンに参加したらコロナに感染しました」という話を聞けば、僕は「そりゃそうだろ」と思うだろうと思う。それなのに、自分はそのイベントに参加する、ということは、僕はコロナに感染しても構わない、と思っているのだろうか?

 「感染したとしても、おそらく自分は重症化しないだろう」とは思っている。しかし、だからと言って「感染しても構わない」と思っているワケではないのだ。

 「構わない」とは思っていないが、「感染も厭わない」という覚悟で参加しなければならない。それで感染したとして、それが他人事なら「そりゃそうだろ」と僕は冷笑するだろう。自分が冷笑するようなことを自分はしようとしているのだ。

 もし参加費が全額返還されるなら、僕は参加を取りやめるだろうか? やめるかもしれない。だとしたら、僕が参加するのは「参加を取りやめると、既に支払ってしまった参加費が無駄になってしまうから」なのだろうか。それだけではないように思う。やはり「参加したい」から参加するのだ。

 徳島のニュースを見て以来、自分自身が抱えているこのような「矛盾」を意識せざるを得なくなってしまっている。それでちょっと居心地が悪いのだ。