Cogito Ergo Sum.

我思う故に我あり

14年目、10回走って初めて見た「サロマンブルー」。

 先月6月25日(日)に開催された『第38回サロマ湖100kmウルトラマラソン』に参加してきました。4年振りの開催で不安もいろいろあったんですが…、無事完走! ただし、自己ワースト!

 でも今年は楽しかった! 4年振りに道東の地を走れたし、途中で完走を諦めかけたけど粘って完走出来たし、天気も最高だったし! 終わり良ければ全て良し!

 これで10回完走! 1度もリタイアすることなく、そして(サロマでは)1度も立ちションすることなく、サロマンブルーを決めました! 来年は憧れのブルーゼッケンをつけてここを走ります!

「第28回サロマ湖100kmウルトラマラソン(100kmの部)の完走メダル」の画像

 サロマに関しては、2019年の大会で9回目の完走を果たし、サロマンブルーに王手をかけていたんですが…、そこから3年連続の中止。サロマが開催されないとなると、僕のモチベーションもガタ落ち。ほぼ3年間ジョギングをサボっていました。去年は「北海道マラソン」に参加するために少し走りましたが、北海道マラソンは19km地点で脚攣って撃沈! 残り全部歩いてゴール(涙)。走るための筋肉がスッカリなくなっていることを痛感しました。

 今年は1月から比較的真面目(?)に走っていて、僕のサロマ必勝法=「1月から大会直前までに1450km走る!」はクリア、6月頭に恒例の「単独60km走」もクリアしていましたが、その60km走の終了時に「あと残り40km、到底脚がもたない」と感じました。今から考えると、この直感は正しかった。

 4月くらいから「走るための筋肉」だけでなく体幹の筋肉もゴッソリ落ちてしまっていることを切実に感じていました。背筋も丸まっちゃったし、長時間椅子に座っているだけで背中や腰がツラくなってくる始末。走ってない間に50代に突入してしまった、というのも大きいですね〜。

 ずっと今年のサロマは、2019年に買ってその年のサロマで履いたAsics Gel-DS Trainerで走ろうと思っていたのに、「脚がもたない」恐怖に駆られて、本番2週間前に慌てて新しい靴を購入(New Balance Fresh Foam X 1080 v12 D)。本番前にほんの数回しか履いてないような靴で100km走って大丈夫か…?という不安もありました。

「New Balance Fresh Foam X 1080 v12 D」の画像

 あと最後の不安材料として「暑熱馴化できていない」ということも。暑くなっても汗が出ない。サロマは5年に1回くらいバカみたいに暑くなる時があるので、これも不安材料の1つでした。

 「これまでにサロマに9回挑戦して、9回とも完走している。1度もリタイアしていない」という自負心はあることはあるんです。でも、50代に入ってからの3年のブランクは大きい。「これまでのノウハウが通用するのか」という不安を払拭することは最後まで出来ませんでした。もともと不安感の強い人間だし…。

「10kmおきのスプリットタイム・ラップタイムの表」の画像

 今年の完走タイムはグロスタイム12時間53分15秒(ネットタイム12時間50分05秒)。制限時間は13時間ですから、残り7分のギリギリゴールです。もちろん自己ワースト! これまでのワーストが12時間32分くらいだったので、大幅更新(笑)。3月に「今年のゴールタイムは『12時間39分』になるのかも!?」という夢を見たんですが、それすら上回り(下回り?)ました(笑)。

 ラップタイムを確認してみると、60km辺りまでは順調に進んでいます。それが、レストステーション(54.5km)前後の下り坂で左膝に痛みが出始め、早々に「魔女の森」辺りから歩き始めました。ワッカに入って、この痛みが「ウヤムヤ」に消えてくれて、何とかゴール出来ました。今年は60〜80kmの方が80〜100kmより遅いくらいです。

 前日夕方の時点で、翌日の「佐呂間町」の天気予報を見ると、最高気温が26℃と出ていたように思います。当日未明の時点では24℃程度の予報。この「佐呂間町」というのが佐呂間町内のどこを指しているのかよくわかりませんが(佐呂間町役場周辺?)、「佐呂間町」「北見市」「遠軽町」の最高気温は高めで、「湧別町」「網走市」の最高気温はそうでもなかった。おそらくオホーツク海岸やサロマ湖岸から数十km内陸の方に入ると気温が上がるけれども、海岸・湖岸寄りの地点はそれほど上がらない、ということなのかもしれない。ただ、天気そのものは「晴れ」で、「曇り」の文字はない。直射日光を直接浴び、最高気温が24〜26℃まで上がるコンディションになることはわかっていました。

 こうなると、徹底して「薄着作戦」です。上半身は真夏のフルマラソン大会(北海道マラソン!)でしか着ないようなメッシュ地のランニングシャツ1枚。下半身は機能性タイツを穿かずに膝のテーピングのみ(サロマで機能性タイツを穿かなかったのって初めてではないか)。普通のメガネのレンズの上にはめるクリップ型サングラス(?)を父から借りていったのだけど、これは使いませんでした。前日の車の運転の時は使用したんですが、どうも集中力が切れがちで、眠くなるように思ったんですよね。

 この薄着作戦が功を奏したのか、「今年は暑かった」という声が多い中、僕自身は終始「暑さ」はほとんど感じませんでした(最高気温は27℃を超えていた、という話もありますが…)。汗も出なかったけど(笑)。ずっと鼻呼吸で、楽々ペースを維持。最初の30kmなんかはもう少しペースを抑えて走った方が良かったのかもしれないけど、前半で作ったタイムの貯金がなかったら13時間に間に合わなかった。そう考えると、これも結果オーライ。

 10回目の参加で、初めて本番中にトイレで「大」をしました(笑)。いつも、本番の前日からなるべくトイレで大きい方は出してしまうことにしていて、これまで1度も「大」は経験なかったんですが…、今回はスタート前のトイレで出し切れず、少し残っていました。22〜23km地点辺りの仮設トイレがうまい具合に空いていて、待ち時間はほとんどゼロ。和式を覚悟していましたが、ドアを開けてみると洋式で、比較的奇麗で助かりました。

 30kmからは少しペースが落ちてくるけど、エイドの滞在時間が伸びてしまったのかな…? 35km以降は秘密兵器(?)の小道具を活用。まず、台所用のスポンジ。これで身体に水をかけたり、(実際にはやらなかったけど)水を含ませたまま帽子の中に入れたりするツモリで持参。次に、日本手拭い。これはベチャベチャに水に浸して、首にかけ、ウェアの首元から中に入れて上半身を冷やす。最後にビニール袋。氷を提供しているエイドを見つけたら、氷を袋に入れて、首筋や脇の下、肘の内側、指先、頭、といろいろ冷やします。「暑さ」対策は概ねうまくいったと思いますね。

 集中していたのか、今年は100kmを短く感じました。精神的に余裕があった60kmくらいまでは、並走している誰かにコースの解説をしながら走っているような気分でした。「誰か」って「甥」ですね。実は、今年は甥もエントリーして一緒に走ることになっていたんだけど(「一緒に走る」と言っても「並んで走る」とは限らないが…)、いざ4月になって大学生活がスタートすると、現実問題として練習時間がとれない、ということで、早々とサロマ参戦は断念しました。

 僕としては、それを聞いて、残念に思う気持ちとホッとする気持ちの両方がありました。甥は小学生の頃からスポーツに打ち込んでいたので、「いつか、彼が大学生くらいになったら、一緒にサロマを走りたい」とずっと思っていて、その気持ちは今も変わらないんだけど、しかし、実際にサロマを走るとなると、何かとコストが(金銭的にも、時間的にも)かかる、というのもよくわかる。首都圏から公式ツアーを利用すると最低10万円はするし、それ以外にもシューズやウェアやその他諸々いろいろ用意すると数万円の出費は必要。

 それに何と言っても、普段の練習に時間がかかる。2時間走るためにはどうしたって2時間かかるワケで、走る前後にストレッチしたり、ジョギング終了後に風呂に入ったり、あれこれやってる内にすぐ4時間くらい経ってしまう。一番走る5月なんかはこれを最低でも2日に1回はやらないと100km完走は見えてこない。だけど…、大学に入学したバカリの1年生にそんなことやらせていいものか、という気持ちはありました。僕は大学院生をかなり長くやっていた方で、世間一般の人よりも「大学での学び」「学問」のようなものを大切に思っている方だと思います。「大学に入ってやるべきことは『ウルトラマラソン』じゃないよな〜」という気持ちもあるワケです。

 だから、甥がサロマ参戦を断念したと聞いて、残念に思うのと同時に、ホッともしたんですよね。これは今も変わりませんね。

 で、今年は60km地点までは、隣を並走している(夢想上の)甥に「コース上のポイント」をいろいろ解説しながら走っているような感覚でした(あるいは、YouTube動画を撮影しながら、だとか、生配信しながら、という感覚)。「10km1時間10分のペースで走っていれば大丈夫だ」「時間的には余裕があるから、ここでトイレに寄ってしまおう」「今日は気温が上がって、脱落者続出のサバイバルレースになるぞ」「30〜35km地点で最初の疲労が出てくるんだ」「あの川を渡ったところが40km地点で、その後上り坂が始まる」「対岸に見える茶色の建物、あそこがレストステーションだ」、等々。これはまぁ、「誰か」に解説しているようでもあり、実際のところは「自分」に解説(確認)していたのかもしれません。やっぱり4年振りで細かいことはだいぶ忘れていたので(笑)。

 と言うワケで、レストステーションには比較的順調に到着。スタートから20km過ぎくらいのところまでは、(上述の「メッシュ地のランニングシャツ」の下に)コンプレッションタイプの薄いゴムみたいな素材の半袖Tシャツを着ていたんですが、トイレに寄った際にこれを脱いでいました。その後はウェストポーチのベルトに結びつけて走っていたんだけど、邪魔なので(超薄手だけど、濡れていて重い)、これだけをレストステーションで受け取った赤袋に入れて、すぐに再び預け、レストステーションを発つことにしました。サロマ挑戦の10回中、レストステーションの滞在時間は今年が最短かも。

 この時に今年の完走に最も役立ったと思われるアイテムをゲット! レストステーションからコースに戻る出口のところに金魚掬いの水槽みたいな大きな水槽(?)が置かれていて、500mlのペットボトルが何十本もプカプカ浮いて冷やされていたんですよね。これ貰っていいものなんだろうか?とよくわからないまま「OS-1」を1本貰って、レストステーションを後にしました。ひょっとしたらあれ、リタイアしたランナーのためのものだったのかもしれないし、有料で販売していたものなのかも…? でも、係の人が誰もいなくて、貼り紙とかも何にもなかったんですよね。OS-1以外にも清涼飲料水もありましたが…、今回はOS-1。これが役立ちました。

 実はこれまでOS-1って1度も飲んだことがなかったんですよ。でも、脱水防止には清涼飲料水やスポーツドリンクよりも「経口補水液」だな!とOS-1をチョイス。OS-1って不味い、と聞いていましたが…、一口飲んでみると嫌な味ではない。と言うか、むしろ好きかも(笑)。もっとも、北海道マラソンで脱水症状でリタイアした友人が「あの不味いOS-1が、リタイアした直後に飲んだら美味しかった」と語っていたことがあったので、僕も既に脱水気味だったのかもしれませんが…。

 気のせいだとは思いますが、OS-1をチビチビ飲み始めて、「身体に水分が漲(みなぎ)っていく」ような感覚がありました。あと、空になった後もこの500mlのペットボトルをずっと「手に持って」走ったのだけど、これが役に立った。

 今年のサロマのコースは、直前になって、終盤の75km地点付近からゴール地点までのコースが変更になりました(ワッカ原生花園中のサイクリングロードが一部崩落)。エイドの設置箇所も変わって、給水出来る箇所が減り、終盤のエイドの少なさを嘆く声が今年は多いです。ところが、僕はペットボトルを持って走っているので、給水への不安が一切なかった。

 僕は「ボトルポーチ」というものがどうにも苦手で、これまでサロマでボトルを持って走ったことは1度もなかったんだけど、次回以降ボトルの携行を検討した方が良いかも。ボトルポーチの「苦手」を克服するか、身体にフィットするボトルポーチを見つけるか、トレイルランニング用の超軽量リュックやランニングベスト、「手に持って走る」タイプのボトル(「ソフトフラスク」?)、等々を探してみるか…。「終盤の給水への不安が一切ない」ってのは大きいですよ。レストステーションでこのOS-1のボトルを手に入れていなかったら、今年は完走出来なかったかもしれない、とすら思いますね。

 さて、こうして60km地点に近づいて来たんですが、少し異変が。サロマのコースは基本フラットで、峠を越えるような大きなアップダウンはないんですが、レストステーションの前後で多少のアップダウンはあります。この下り坂で「左膝」が痛み始めた。

 今年2〜3月に痛みがあったのは「右膝」なんです。「左膝」が痛むことは今年は1度もなかった。ところが、下り坂を走り終えた後、左膝が痛む。最初は、レストステーション前の53km地点くらいのところで痛みが出たんですよね。それで「あれ?」と思ったんだけど、平地を走っていたらすぐ消えたのであまり気にしていなかった。

 それが、レストステーション後の59km地点くらいのところでまた痛みが出て、「坂道を走ると左膝に痛みが出るようだ」と気付き、少し焦りました。それと言うのも、「左膝」に痛みが出るのは想定外だったので、対策を何にも考えてなかったんです。エアサロンパスも持ってないし、エアサロンパスを用意していた私設エイドも今年は少なかったように思います。「コールドスプレー」を置いていた私設エイドがあって使わせて頂いたんですが、効果はありませんでした。

 それで、61km地点前後から少し歩きが入るようになりました。61km前後って何故か毎年異様にツラいんですが、こんなところから歩き始めたのは今年が初めて。

 左膝が痛んだ原因として思いつくのは、
・今年は機能性タイツを穿かなかった。
・テーピングが不充分だった。
体幹の筋肉が弱まり、着地の衝撃を脚で受け止めていた。
・太腿前側の筋肉が弱まり、着地の衝撃に耐えられなかった。
・大会9日前に起伏走を行った際の疲労が太腿に残っていた。
・大会4〜6日前の3日間連続でロードバイクで17〜20kmほど走り、膝に疲労が溜まっていた。
・ストレッチや脚の筋力トレーニング等を怠っていた。
といったところですかね。

 息は上がっていない。スタミナ的には大丈夫。熱中症にも脱水症にもなっていない。気持ちは切れていない。ところが、膝が痛くて、思うように走れない。こういう状況には、2017年のサロマ前の「単独60km走」の時に陥っています。あの時痛みが出たのも左膝。ただ、同じ「左膝」と言っても痛む箇所が違う。今回のはおそらく、太腿の前側の筋肉が硬くなって膝小僧を引っ張り上げちゃってるんでしょう。それで、膝のお皿の真上に痛みが出る。

 2017年に左膝に痛みが出た時は、極端な「踵着地」をすれば痛みは出なかったんですよね。それで試してみましたがダメ。それに今年は「踵着地」的なフォームでは走ってなくて、左足だけ踵着地するような走り方をするのは難しかった。

 レストステーションで両膝のテーピングを貼り直した方が良かったか…、とも思ったけれど、もう後の祭り。それと、今年は「BCAA」「カルニチン」「オルニチン」「ヘム鉄」なんてサプリメントをいくつか買ってあったのに、札幌の自宅を出発する時に持って出るのを忘れちゃったんですよね。レストステーションで飲んでみようか、なんて考えていたんですが。まぁ、これを飲んでいたら痛みが出なかったのか、と言うと、そんなことはないんだろうけど…。

「数種類のサプリメント製品」の画像

 痛み止めの錠剤は持っていません。これは僕は持たない方針。僕自身は「市民ランナーが痛み止めを飲んでまで走るのは如何なものか」と思っているので。スポーツドクターみたいな人が正式に処方してくれたものなら構わないのかもしれないけど、素人判断で市販の鎮痛剤を飲んで走るのは短期的なメリットよりも長期的なデメリットの方が大きいと思っています。痛み止めは飲んじゃダメ、と言うより、そもそも買っちゃダメ。買ったら持ってくだろうし、持ってたらそりゃ飲んじゃうよ。僕だって飲んじゃう(笑)。

 エアサロンパスは、試供品みたいな極小タイプならイザ知らず、通常のサイズのものだとスプレー缶が大き過ぎて、携行して走るのは難しそう。次回以降に向けて、「ゲル」タイプや「ローション」タイプの患部に直接塗る製品を試してみようかなぁ。ああいうのならウェストポーチに入りそうだし…。

 67〜74kmくらいの区間ではまた走れたので、復調したか!?と思ったんですが、75〜76km地点の栄浦大橋、ワッカネイチャーセンター辺りでまた痛みが。僅かな下りでも痛む。ワッカに入って80km関門まではほぼ歩き。「80km関門を10時間以内に通過する」が「誰にでも当てはまる『サロマ完走必勝法』」だと思うんだけど、10時間を5分ほどオーバーしてしまいました。10時間を切れなかったのは、僕のサロマ挑戦史上今回が初めて。以前の関門閉鎖時刻の設定だったら、今年は80km関門に間に合わなかった、ということです。

 残り2時間55分(175分)で20km進まなければならない…。計算してみると、平均8分45秒/kmで進まないとならないワケで、65~70kmや75~80kmの区間で既に9分/km近くかかっていた1kmもあったことを考えると、たとえ92km関門を通過出来ても100km13時間の制限時間には間に合わない公算。「どうやって完走するか…?」と考えますが、妙案が浮かびません。ここはかなり焦りました。と言うか、完走を「半ば諦めていた」といった方が正確かもしれません。

 2016年の大会でも、ワッカの20kmを3時間かけて完走したハズで…、同じことが出来れば今年も時間内に完走出来るんだけど、あの時は「痛み」はなかった。僕はもともと歩くのがかなり速い方だし、今回歩く分には痛みはなかったので、「10分/km」なら可能。これに少し「走り」を混ぜてやれば「9分/km」も可能ではないか、とは思うんだけど、「痛み」がある状態でどこまで走れるか…。

 ワッカのコースは今年はいつもと異なる方向から走っています。いつもは、東側から入って西の端まで行って折り返してくるのに、今年は中央から入って、まず西へ。折り返して、東へ。また折り返して、再び西へ。そしてワッカに入ってきた中央から抜け出ます。この順路は「これはこれでありかも」と僕は思いました。ワッカはいつもかなり長く感じる(そして、それがツラい)んだけど、今年はいつもよりも短く感じました。

 今年のワッカは少し寂しく感じましたね。天気は良いんだけど、おそらく今年はサバイバルレースになって、ワッカを走っているランナーの人数そのものが少なかったのでしょう。

 コース変更に伴い、ワッカでの給水ポイントは2箇所しかなくて(その内1箇所は往復で2回利用)、これまた「ワッカでの給水、被り水ポイントの少なさ」を嘆く声が今年は多いんだけど、僕は例のOS-1のボトルを持っているので不安は全くなかった。「いつでも水が飲める」ってこれほど大きなものか。今年はワッカでのエイド滞在時間が短く済みました。

 変更されたコースでは、87.5km地点くらいのところがワッカの東の端の最後の折り返し点で、この前後の1km(87〜88km)を歩かずに走ってみました。すると、何と7分を切って走れた! ここが大きなターニングポイントになりました。88km地点、89km地点で、残り時間と残りの距離を計算すると、何とか13時間に間に合いそう。さっきまで諦めムードだったのに、急に希望の光が差してきました。

 もっとも…、「87〜88kmの区間は少し短かったのでは」という声があるようです。「91〜92km」も短かったかも。明らかにおかしかったのは「81〜82km」で、あそこは絶対に1kmなかった(笑)。だって1kmのラップタイムが「5分40秒」。81km地点の看板が後にズレてたんじゃないかと思いますね…。そう言えば、スタート直後の「3km」の看板の位置も妙だった。これも後に少しズレてたんじゃないかと思います。

 今回初めて、「応援navi」「ランナーズアップデート」の存在を妹に伝えていて、僕の関門通過タイムを妹や甥や姪がリアルタイムで見ている可能性がありました。甥に「来年は自分も走りたい!」と思わせるためには、こんなところで歩いていて制限時間に間に合いませんでした…、というワケにはいかない。ここで「粘りの走り」を見せなければ!(逆に言うと、「誰も見ていない」と思っていたら、早々と諦めていたかも。)

 それに、「ワッカでトボトボ歩いている」と言うのは、どう考えても「サロマンブルー」になる人には相応しくない。歩いてもいいけど、「完走を目指して作戦として歩く」のでなければならない。「どんな条件になっても何だかんだで完走してしまう」からこその「サロマンブルー」だと思うのです。

 だから、ワッカはかなり歩いたけれど…、「走って」「歩いて」の繰り返しですね。こんなに何度も「再び走り出した」のは初めてかも。何度も「再び歩き出し」てますからね(笑)。下り坂で左膝が痛むことがわかったので、上りは「走って」、下りは「歩いて」の繰り返しです。

 ワッカでは、「残りkm×10分」が「安心ライン」になります。「残り13km、残り130分」だとか「残り8km、残り80分」だとか。何故なら「1km10分」で良いなら、歩いたってそのペースで進めるからです。この安心ラインに達すれば、残り全部歩いたって完走出来るワケです。もっともそれは「歩ければ」の話で、100kmマラソンでは終盤「歩くこともままならない」状態に陥ることもあるワケですが…。

 90km地点通過タイムは「11時間31分03秒」。つまり「残り10km、残り89分」。これじゃダメです。だから懸命に走ります。94km地点通過が「12時間01分」=「残り6km、残り59分」。もう少しです。次の95km地点で「12時間09分」=「残り5km、残り51分」。やっと「安心ライン」に到達! 後は「全歩き」でもゴールに間に合う!

 ただ、僕は見てしまったんですよ。想像だにしていなかった光景を。僕の目の前にいた100人近くのランナーの誰1人として歩いていない! 「全員」が走ってるんです!

 正直これまでは、13時間ギリギリで完走するようなランナーは、残り時間を計算して歩いたり走ったりで、辻褄合わせのように完走しているのだろう、と思っていました(今回の僕のように(涙))。ところが実際は! 皆黙々と走ってるんですよ。「完走する気のあるランナー」は皆必死に走ってるんです。ここで歩いているような人は「完走を諦めたランナー」。そんな人、僕の目の前に1人もいないんです(もっとも…、後にはいるのかも(笑))。もの凄く感動しましたね。サロマで感動したの初めてかも。

 僕は「走ったり歩いたり」で、その内そういうランナーもチラホラ見かけるようになりましたが…、あの「僕の目の前の100人近くのランナー、誰1人として歩いていない」という光景は脳裏に焼き付きました。下り坂ではなくて、むしろ少し上っているようなところなんですけどね。あれは最後に良いもの見たわ〜。

 こうして、13時間の制限時間の7分前にギリギリゴール! 今年も無事に完走することが出来ました。今年はかなり早くから歩き始めてしまったし、途中「諦めモード」で放心したままナススベなく歩いていたような区間もあったのだけど、完全に諦めることはなく「ギリギリ間に合わせた」というところは、まぁ良かったのかな、と思います。

 例年通り、ゴールしても達成感はゼロ(笑)。もちろんホッとはするんですけどね…。これまでと違うのは、ゴール後にすぐまた100km走りたくなったことかな? 僕は「負けず嫌い」ではないけれど、それでもやっぱり「自己ワースト」というのはちょっと悔しいのかも。「左膝の痛みさえ出なければ、ここまで遅くはなかった」という気持ちがあるのかもしれません(それでも「12時間39分」で自己ワースト更新!…かな?)。

 同時に、ゴールして初めて「スタート地点に立った」ような感覚もあります。やはり、サロマは毎年走らないとダメですね。1年前に100km完走している、と言うことが、翌年のスタート地点になっている。2015年もそうでした。2014年にエントリーしそびれて、2年振りに参加した2015年の大会は、半年間かなり走り込んだにも関わらず、12時間を切れずにガッカリでした。だから来年は…、また12時間を切れるかな?

 4年振りにサロマを走って改めて感じたのは、「いくらでも食べられる」ということが、どうやら僕の強みらしいこと(笑)。本当、いくらでも食べられる(笑)。「今年のエイドの給食は甘いものばかりで閉口した」という声が多いんですが、僕は元々甘いもの大好きだし、全く問題ありませんでした(笑)。あんパン、クリームパン、塩羊羹、ブラックサンダー、バランスパワー、最後まで食べ続けられました(バランスパワーは甘くはなかったけど)。ゴール後には「ホタテフライカレー」をペロリ(笑)。サロマに10回挑戦して、食べられなくなったことは1度もありません。これが僕の強みなんでしょう。

「10個のサロマ湖100kmウルトラマラソンの完走メダル」の画像

 それと、もう1つ感じているのは…、「サロマンブルーになる」ということは最低でも10歳年をとるということだ、ということ(笑)。それも実感しています。サロマに初挑戦した2010年は僕はまだ40歳で、努力しなくても(ちょっと頑張れば)フルマラソンはサブ4で走れた。今は頑張っても4時間半でしょうね。「下り坂で膝が痛んだ」なんてことも初めて。疲労回復のスピードも遅くなってるだろうし、筋肉がガッツリ落ちた。40代半ばの時は、縄跳びを数分間続けても「こんなんでトレーニングになるのかな?」という感じだったのに、今や45秒でツラくなってくる(涙)。

 そうそう、サロマ完走のご褒美にハーゲンダッツのアイスクリームを2個食べて良いことになっています(笑)。今年は自己ワーストだったから、2個は多過ぎるな、1個だな、と思っているんですが、これを買いに行く気になりません。サロマのご褒美は「サロマを走ることが出来たこと」に尽きるんです。あの快晴の下、道東の大自然の中を13時間も走ることが出来た、それが最大のご褒美。「モノ」じゃないんですよね。

 ゴール後、スタート地点に戻るため、19時発の「マラソンバス」に乗りました。このバスは、その日走った100kmのコース(の一部)を逆向きに辿っていくワケですが、その途中、60km地点付近を通りかかった時、ちょうどモヤに包まれた太陽(夕日)が地平線近くまで沈んできていたんですが、サロマ湖の水が何とも表現し難い水色に輝いていました。トルコ石が発光しているような、「湖の水の色がこんな風に見えることがあるのか!?」と驚くよう水色でした。

 これまで「『サロマンブルー』というのは何の色に由来しているのだろう?」とずっと思っていたのだけど、この色のことなのかもしれない、と思いました(「オホーツクブルー」は道東独特の青い空の色のことだと聞いたことがありますが)。考えてみればスマホもデジカメも持っていたのに、写真を撮ることはせず(うまく撮る自信がなかった)、ジッと目に焼き付けました。本当に不思議な色でした。

 10回完走したご褒美に、この「サロマンブルー」に輝く湖水をサロマの神様が見せてくれたのかな、と思います。

 早朝〜夕方100.000km12時間53分15秒。累積走行距離1576.071km。「第39回サロマ湖100kmウルトラマラソン」まで、あと371日!