Cogito Ergo Sum.

我思う故に我あり

ダイナマイトとWinny

 技術は、それを開発した人間が考えもしなかった使われ方をする。

 小学生の中高学年の頃、近所の区民センターの児童図書館に通って3日で2冊のペースで本を読んだ。1週間4冊ですね。随分本を読んだ。

 本棚に並んでいた子供向きの伝記は全部読んだのではないか。その中にノーベル賞のノーベルさんの伝記もあった。

 ノーベルさんは何で有名か? ダイナマイトの開発と商品化だ。鉱山とかトンネル工事の現場なとでは爆薬の使用が不可欠だ。ダイナマイトが存在しなかった時代にはニトログリセリンそのものが使われていた。

 ニトログリセリンは危険や薬品だ。衝撃を与えると爆発するのである。多くの事故が起きていた。そこでノーベルさんはニトログリセリンを染み込ませた布を固い筒で覆ったダイナマイトを開発した。ダイナマイトは導火線に火をつけない限り落としても蹴っ飛ばしても爆発しない「安全な」爆薬だ(ニトログリセリンは試験管からそーっとこぼしただけでも床と当たった衝撃で爆発する)。爆発物を用いる現場では誰もが求めていたものだった。当然飛ぶように売れた。ノーベルさんは億万長者になった。

 ところが、ダイナマイトは犯罪や戦争に使われることになり、ノーベルさんに対する評価は一転して地に落ちた。「死の商人」とまで言われるようになった。「安全な爆発物」を開発したが故に。

 ノーベル賞はノーベルさん自身ではなく、ノーベルさんの遺族が創設したものではなかったかと思う。ノーベルさんは「死の商人」ではなく、科学・技術の健全な発展を見守るパトロンだというイメージ回復作戦だ。僕自身はノーベルさんを持ち上げるつもりでもなく、死の商人だと非難するつもりでもない。ノーベルさんは需要のある商品を見抜いて誰よりも早く商品化した有能な技術者・企業家だったと思うだけだ。

 最近、様々な組織の機密資料がインターネット上に流出していて、新聞の見出しには「またWinnyか?」なんて書かれている。仮にそれがWinnyの使用、あるいは、Winnyの使用+暴露ウィルスの感染によって起きたことであったとして、僕自身は問われるべきはユーザーだと考える。Winnyの開発者の責任が問われるのはどうも筋違いのように思う。社会的な影響力の大きなものを作り出すことそのものに責任が伴うのではないかという意見もあると思うが、便利なものは良いことにも悪いことにも使われるのは当然なのだ。

 例えば、素数についての数学的研究をもとに、暗号理論が作られる。慎重なテロリストは破られない暗号を使う。護身用スタンガンは犯罪者の必須アイテムになっている。ゲーム機のプレイステーションを持ち込むことのできない国がある。部品を兵器に流用される危険があるからだ。使い捨てカメラだって、瞬間接着剤だって、ガムテープだって、犯罪に用いられる。便利だからだ。

 使えるものは悪事にだって用いられる。逆に言えば、悪事に用いられないようなものは使えない代物だということだ。善意ですら悪事に利用されるのだから。