Cogito Ergo Sum.

我思う故に我あり

『村上ラヂオ3 サラダ好きのライオン』(村上春樹(文)・大橋歩(画))★★☆☆☆

 『村上ラヂオ3 サラダ好きのライオン』
 村上 春樹(文)
 大橋 歩(画)
 2016年
 新潮社
 ★★☆☆☆

 「新潮文庫」の「む-5-36」。『サラダ好きのライオン 村上ラヂオ3』(2012年 マガジンハウス)を改題し文庫化した本。

 雑誌『アンアン』に2年間(2010~2012年)連載されていたコラムの後半1年分(52篇)が収録されている。前半1年分をまとめた本が『おおきなかぶ、むずかしいアボガド 村上ラヂオ2』(2011年 マガジンハウス)のようだ(2013年に新潮文庫化)。

 1篇4ページ(文章が3ページ、大橋歩氏による銅版画の挿絵が1ページ)で「サクっと読める」のだが…、正直全く面白くなく、少しショックだった(文章よりも挿絵の方を楽しんだくらい)。「村上春樹ってこんな感じだったっけ?」という印象。

 僕自身は「熱心なハルキスト」ではないが(と言うか、「普通のハルキスト」ですらないが)、だからと言って「アンチ」でもないと思う。遠い昔、『村上朝日堂』(1987年 新潮社)なんかは面白く読んだような気がするんだけど…。

 実家の父の部屋にあった。実家からの帰り際、ついウッカリ実家のPCのWindows Updateを始めてしまったらこれが終わらず(終了までに5時間半かかった!)、仕方なくその間読んでいたのだが…、ところどころに思わず吹き出してしまうような箇所はあるにはあったものの、ついに最後まで僕にはピン!とこなかった。

 もう10年以上も前に書かれたものだからだろうか?とも思ったのだけど、時事ネタはほとんどないし、こないだ読んだ『一人称単数』(2020年 文藝春秋)の第1話(正直に言うと、Kindle版の無料サンプルで読んだだけ)なんかも、全然面白みを感じられなかったんだよなぁ…。僕自身の感覚が変わってしまった、ということなのか。自分がいつの間にか村上春樹の文章を楽しむことができなくなっていることに気付き、それが少しショックで…。

 著者自身「まえがき」で触れているが、こういう感じのコラムが何故『アンアン』で連載されることになったのだろう? また、『アンアン』の読者層とハルキストの層は被らないように思うのだけど(偏見?)、アンアンの読者はこのコラムをどんな風に読んでいたのだろう? 僕は『アンアン』は滅多に手に取らないが(「美乳強化塾」だけは興味ある(笑))、この本は楽しめなかった。残念。

 本文215ページ程度(そのうち挿絵が52ページ)。