Cogito Ergo Sum.

我思う故に我あり

自己表現としてのプログラミング

 知っている人の書いたコンピュータ・プログラムを読んでみると非常に面白い。その人の性格が見事に映し出されているからだ。

 せっかちなあの人が書いたプログラム、几帳面なあの人が書いたプログラム、プラグマティックなあの人が書いたプログラム、臨機応変なあの人が書いたプログラム、考える前に行動を起こすあの人が書いたプログラム、考えすぎのあの人が書いたプログラム、プログラマの人となりが実によく反映されているのだ。そういう意味で、プログラミングというのは自己表現でもあるのだと思う。

 皆、本当にその人らしいプログラムを書くものだ。その代わりクオリティもバラバラ。自分らしさを出すつもりがなくてもつい出てしまう。素人プログラミングのそういうところが好きだ。自分らしさを敢えて出すつもりがなくても、現に出ている。自己表現するつもりがないのに自己表現になっている。そういうのが芸術の端緒だと思うし、僕はそういう作業が好きなのだ。

 コピー機でとるたった1枚のコピーにだってその人の個性というものは出るから、コピー取るのだって自己表現の1つだと言えるわけだが。